これ↓の続きです。
川口さんの人柄がよく分かるエピソードが、You Tubeなどにあがっていました。
簡単に言うと、
”棚田の一番上の田んぼの水持ちを良くしたいが、そうするためには耕さなければならないのですが・・・” という質問。
これに対して川口さんは、
『耕せば良いんですよ!』と即答だったらしいです
自然農って、
・耕さない
・肥料、農薬を持ち込まない
・草や虫を敵にしない
・自然に任せる
これが基本。
耕さないということは、いつも真っ先に出てくる話です。
なのに、『耕せばいいんですよ!』
とは、まさかの答えです。。。
多分、いたずらっ子のような笑顔で答えたんだと思います。
ほんと、いたずらっ子のようなんですよね〜〜〜笑。
”そういう場合は耕してください!”という方法論では決してなく、茶目っ氣たっぷりなその言葉と雰囲氣から、私たちは氣づきと安心感と良い加減さとを教えてもらっていたのだと思います。
決して人の固定化した概念で眼の前の自然を見ることが無いよう、時々私たちの思惑を面白いほど壊してくれました。
自らの内に答えを見つけ出しなさいと、眼の前の自然と自分との対話なのだと、優しく教えてくださっていたのだと思います。
凝り固まった私たちの頭をほぐしてくれます。
臨機応変で良い加減
川口さんのお茶目で優しい笑顔が思い浮かびます。
”自然農では1反あたりどれくらいの収量があるのですか?”と聞いたら普通、◯俵ですとか、今の一般的な慣行農業より多いですとか少ないですとかの答えを期待しますよね?
『その田んぼでいただけるだけいただけます』
これが川口さんの答えだったそうです。
沢山であることが別に良いことではなくて、いただけるだけいただくことが自然農である。。。
”足るを知る”というこの動画の中での解説に、そういうことか〜と思いました。
焦点を当てるべきは、多いことや早いことといった効率ではなく、足るを知ること。
自然の実りとはそういうものなんですよね。
すべてが”ありのまま”で良いのだとお経のように唱えながらも、効率の良さばかり氣になる私は、まさに現代人です。
自然農では、私たちの在り方自体が問われているのです。
この話で思い出したのが、2年ほど前に最後にお会いしたときのこと。
どうも、何年か前に自己破産を考えたらしいんです。
えですよね。
これだけ川口さんの周りには人が集まって教えを請うているのに、お金ないの?って
確かに、赤目自然農塾はお金をとっていません。
払いたい人が払いたいだけ払うシステム・・・なのです。
小屋を立てたり、田畑の傷んだところを修復したりする資材の購入費や農具を買うためにお金は使われています。
そして、毎年面白いように収支がピッタリと合いますと仰っていました。
お金は天下のまわりモノ。
田畑からの恵みと同じで、必要なだけ入ってくる。
ホントにそんな暮らしで執着はしないからお金はなく、子どもさんの学費の返済でっておっしゃっていたと思います。
そんな時に、川口さんの田んぼから重要な遺跡が発見されたそうなのです!
嘘のようなホントの話。
それがまさに自己破産を考えていた時の出来事だというのも、ホントの話。
それでお金が入って、自己破産しなくて済んだそうです。
そんなことがあったのだと、話してくださいました。
ここ↑から引用させていただこうと思ったのですが、長くなってしまったのでリンク先で読んでください。
でも、やっぱりちょっとだけ引用。
すべてのいのちは自ずから然らしめています。人為を挟まなくていいのです。自然界は誤ることなく、為して為さないものはありません。為すべきものは自ずから為しています。刻々と、絶妙に、それぞれが我がいのちを為している。そこで目的を達成するべく、沿っていけばよいのですね。よけいなことをせず、無駄をせず、心を運びすぎず、為すべきことを為す。いのちの法則からはずれたり、いのちの営みそのものに手出しするようなことをしてはダメです。
かつては、自然の森や山から採集することによって、いろんな恵みを手にしていたのですが、自然農の田んぼも同じです。自然農の田んぼでは耕さないので、いのちたちはつねに生命活動しています。最近、生物多様性が重要だと説かれますが、数と種類が多ければいいというものではなく、その場にふさわしいいのちの数と種類があって、その調和は自ずから決まるもので、自然に任せておくことが基本です。
川口さんの訃報に際し、いろんなことを思い出し、改めて自分を見つめ直すことができました。
感謝の氣持ちを添えて・・・。
合掌。