まず、海外にサッカーを見に行く人なんて限られているのかもという想像をした。海外にわざわざサッカー見にいけるような人は、それなりの家庭で育ってそれ相応の教育とか躾とかを受けた人が多く行ったのではないかと。お花見は誰でも彼でも近所に歩いてあるいは車でちょこっと行けばそれだけでお金はかからないし、参加資格的なものもいらないし。海外にサッカーを見にいくにはそれなりのお金とか余裕とかが必要だから、収入とか教育とかがそれなりじゃないとなかなか難しいのではないかと、それが参加資格のようなものじゃなかろうか。だから民度の高い人の密度が濃い日本人の集団だったのかもしれないと思った。
そもそもあそこに落ちていたゴミは誰が出したものだったのか。もし日本人がゴミをそこらじゅうに捨てていたら±0じゃないかと。外国人にはそんな文化が無くってマイナスばかりでプラスが無いのかとか想像した。
結局日本人も一部の人はとてもいい人で、民度も高くて、教養があって、公共心があってとかなのかもしれないなぁと思った。
最近街を歩いてると、お年寄りに道を譲らない若者とか、大声で騒いでいる若者とか、若いってことはそういうことができる年頃でもあるから、責任とかを背負って無いから無茶なことができるってものだ。積み上げてきたものがないから失うものも無い。だから無茶もできる。それなりに地位とか役職とかあるいは部下とか後輩とかがいる人はおいそれとはむちゃな振る舞いはできないだろうなぁ。もしかしたら、海外にわざわざサッカーを見に行った人っておっさんばかりなのかもしれないなぁ。若者は金ない人も多いだろうから。となんか若者批判みたいになってしまったが、書いてるうちに、若いうちにそういう経験をさせてやるってことも必要なのかもしれないなぁと思えてきた。しかしおっさんになったらそいつらにガツンと言えないようではだめだなぁとも思って、結局自分自身が悪いんじゃないかと思えてきた。
要するにこの記事は、ネトウヨ的な人達の中に、日本人は民度が高く、その反対として韓国人や中国人は低いと安易に言ってる感じの人たちに対して反感をずっと思ってたおっさんのはけ口のつもりだったんだけど、なんか自己反省的なものになってしまった。
ぶーぶー言ってないでお前はどう行動するんだと言う声が聞こえる。