平素の自分はよく食べよく飲む。例え夏バテになろうとも風邪を引こうともインフルエンザになろうとも、果ては胃腸炎で苦しんでいても食事は欠かさなかった。食べなきゃ治らんとばかりに消化がいいものをパクパク食べた。好きな物はよく煮込んだうどんだ。いくらでも食べられた。
それが、食べられなくなったのが精神障害を患ってからだ。いや、食べられなくなったというより、「食べなくても大丈夫な自分に気が付いた」というべきかもしれない。勿論食欲はあるし、育ち盛りか?といった量を食べては腹痛でトイレに籠ることも珍しくない。そうにも関わらず、突然食べなくなる時がある。
食べない代わりに自分は寝る。これは前の日記にも書いた。寝続けられるところまで寝る。寝て、寝て、寝ることに飽きたらようやく起きる。
起きて、水を飲んで、さぁご飯。と、なっても大抵何もない。悲しいかな、まめではない人間の一人暮らしの冷蔵庫なんて、干からびた野菜だったものと調味料くらいしかない。米を炊く気力もなければ、頼みの綱の冷凍食パンもない。ため息をついて、さてどうするかとまた水を飲む。
そのまままた寝ることもある。あるいは、紅茶やコーヒーで誤魔化すこともある。気分が上がっている時はお吸い物の素を飲む。そうして、「固形物を食べなくてもなんとかなるものなんだな」と思う。
それなりに生きてきたから、これが体にめちゃくちゃに悪いことは知っている。一日何も食べない次の日に回転寿司でラーメンに寿司に暴飲暴食したらそりゃ内臓もびっくりするだろう。
こんな大人になってるなんて、子どもの頃は全く思ってなかった。そもそも、食事に対してこんなにこざっぱりした気持ちを持つだなんて思っていなかった。
ご飯を食べることは幸せなことだ。死ぬまで変わらない信念である。ただ、食べられるから幸せなのか、幸せになるために食べるのか。この境界が曖昧になってきた。もっと無邪気に毎食ご飯を食べたい。調味料が「なら自分を使うような料理を作れ」と訴えかけてくるが、聞こえないふりをして冷蔵庫から離れる。そうして、一瞬の幸せを買うために、私は人間の形を取り戻して、コンビニへと向かうのだった。
それが、食べられなくなったのが精神障害を患ってからだ。いや、食べられなくなったというより、「食べなくても大丈夫な自分に気が付いた」というべきかもしれない。勿論食欲はあるし、育ち盛りか?といった量を食べては腹痛でトイレに籠ることも珍しくない。そうにも関わらず、突然食べなくなる時がある。
食べない代わりに自分は寝る。これは前の日記にも書いた。寝続けられるところまで寝る。寝て、寝て、寝ることに飽きたらようやく起きる。
起きて、水を飲んで、さぁご飯。と、なっても大抵何もない。悲しいかな、まめではない人間の一人暮らしの冷蔵庫なんて、干からびた野菜だったものと調味料くらいしかない。米を炊く気力もなければ、頼みの綱の冷凍食パンもない。ため息をついて、さてどうするかとまた水を飲む。
そのまままた寝ることもある。あるいは、紅茶やコーヒーで誤魔化すこともある。気分が上がっている時はお吸い物の素を飲む。そうして、「固形物を食べなくてもなんとかなるものなんだな」と思う。
それなりに生きてきたから、これが体にめちゃくちゃに悪いことは知っている。一日何も食べない次の日に回転寿司でラーメンに寿司に暴飲暴食したらそりゃ内臓もびっくりするだろう。
こんな大人になってるなんて、子どもの頃は全く思ってなかった。そもそも、食事に対してこんなにこざっぱりした気持ちを持つだなんて思っていなかった。
ご飯を食べることは幸せなことだ。死ぬまで変わらない信念である。ただ、食べられるから幸せなのか、幸せになるために食べるのか。この境界が曖昧になってきた。もっと無邪気に毎食ご飯を食べたい。調味料が「なら自分を使うような料理を作れ」と訴えかけてくるが、聞こえないふりをして冷蔵庫から離れる。そうして、一瞬の幸せを買うために、私は人間の形を取り戻して、コンビニへと向かうのだった。