好きな物はなんでも何回でも見たいタイプだ。それは本や映画も勿論だが、好きな人とのやりとりも含まれる。
携帯を触ることができる日は、好きな人とのLINEやTwitterでのやりとりを何度も何度も眺める。あぁあの時はこの話で盛り上がったのか、とか思いながら、何度も何度も。それに満足したら、次は好きなブログを古い順に並べ、上から順番に読む。何度も、何度も。
以前友人と話した時に、読書のスタイルが違っていることに驚いた。自分は例えばハリーポッターのような分厚い本でも、最初のページから読み始める。対して友人は、自分の気に入ってるシーンのみをピックアップして読むという。驚いた。そんな読み方があるとは思わなかった。
例えば、これが短編集やエッセイのような本なら分かる。しかし、最初から最後まで読まないと分からないタイプの本でもピックアップスタイルで読むとは。自分の周りにはいないタイプの読書の仕方だったが、聞いてみるとそういう読み方をする人の方が多かった。なんてことだ。
とはいえ、私の周りで読書をする人間は主に両親だった。父も母も、どんな本でも最初から最後まで通して読み切り、読み返す時も同じようにしていた。その姿を見て育ったからか、自分も同じように読むようになったのだろうと思う。仕事の本も読んでいたが、両親は本が好きな方だと思う。父はディズニーランドに行く時も科学の本を持って行って、待ち時間はそれを読んで過ごしていた。小さな頃はなんで夢の国に来てまでそんなものを、と思っていたが、疲れている中混雑したテーマパークまで連れてきているのだ。ならばせめて並んでいる時間くらい自分の好きな世界にいたかったのだろう。父にとっては科学の本の中こそ夢の国だったのだろう。
どこに行くのでも、本を1冊持ち歩くようになった。あの時の父のように。残念ながら自分には理科と和解する力がなかったので、読んでいるのは食べ物に関するエッセイや、ライトノベル等だ。気軽に違う世界に連れて行ってくれる。適度に他人の目を気にせずに済む。耳は音楽で満たして、自分の外出スタイルは完成する。
音楽も本も、擦り切れて、表紙が破けたものばかりだ。新しいものが嫌いなのではない。ただ、何度でも読んで、聞いたものの方が自分を守ってくれるような気がするのだ。安心毛布のようなものだ。
何かができる日。繰り返し読むTwitterの文章。ブログの内容。電子の中にも安心毛布があることに、ひどくほっとする。
携帯を触ることができる日は、好きな人とのLINEやTwitterでのやりとりを何度も何度も眺める。あぁあの時はこの話で盛り上がったのか、とか思いながら、何度も何度も。それに満足したら、次は好きなブログを古い順に並べ、上から順番に読む。何度も、何度も。
以前友人と話した時に、読書のスタイルが違っていることに驚いた。自分は例えばハリーポッターのような分厚い本でも、最初のページから読み始める。対して友人は、自分の気に入ってるシーンのみをピックアップして読むという。驚いた。そんな読み方があるとは思わなかった。
例えば、これが短編集やエッセイのような本なら分かる。しかし、最初から最後まで読まないと分からないタイプの本でもピックアップスタイルで読むとは。自分の周りにはいないタイプの読書の仕方だったが、聞いてみるとそういう読み方をする人の方が多かった。なんてことだ。
とはいえ、私の周りで読書をする人間は主に両親だった。父も母も、どんな本でも最初から最後まで通して読み切り、読み返す時も同じようにしていた。その姿を見て育ったからか、自分も同じように読むようになったのだろうと思う。仕事の本も読んでいたが、両親は本が好きな方だと思う。父はディズニーランドに行く時も科学の本を持って行って、待ち時間はそれを読んで過ごしていた。小さな頃はなんで夢の国に来てまでそんなものを、と思っていたが、疲れている中混雑したテーマパークまで連れてきているのだ。ならばせめて並んでいる時間くらい自分の好きな世界にいたかったのだろう。父にとっては科学の本の中こそ夢の国だったのだろう。
どこに行くのでも、本を1冊持ち歩くようになった。あの時の父のように。残念ながら自分には理科と和解する力がなかったので、読んでいるのは食べ物に関するエッセイや、ライトノベル等だ。気軽に違う世界に連れて行ってくれる。適度に他人の目を気にせずに済む。耳は音楽で満たして、自分の外出スタイルは完成する。
音楽も本も、擦り切れて、表紙が破けたものばかりだ。新しいものが嫌いなのではない。ただ、何度でも読んで、聞いたものの方が自分を守ってくれるような気がするのだ。安心毛布のようなものだ。
何かができる日。繰り返し読むTwitterの文章。ブログの内容。電子の中にも安心毛布があることに、ひどくほっとする。