金がない。まぁ気持ちのいい程金がない。自分でも何故と思うくらいに金遣いが荒い。宵越しの金は持たないとばかりにどんどん経済を回してしまう。あえて見栄えの良さそうな言い方をしたが、安物買いの銭失いタイプな上に、回しているのは主にオタクコンテンツと食品である。
小さい頃から豪快に金を使う子どもだった。お小遣いをもらえばそれを握りしめ近くの文房具店に行ってはキラキラしたシールや匂い付きの消しゴムを買ってその日の内に使い果たしていた。それは今でも続き、給料日以外は常に金欠といった有様だ。よく「貯金全然してないよー」と言っている友人がいるが、よく聞くと定期預金もしており、年金型貯金のようなものもしているらしい。立派に貯金があるではないか!とつい突っ込んでしまったのは許して欲しい。こちらは本当の本当に貯金がないのだ。残金数十円の口座を何度見たことか。
そもそも何にこんなに使っているんだろう。と首を捻る振りをしているが、前述した通りだ。オタクコンテンツに湯水のようにない金をつぎ込み、金がないことや職場やSNSでのストレスを理由に外食やご褒美スイーツを買ったりしている。薄給な上にそんな使い方をしていたらあっという間に金はなくなる。例に漏れず、立派なリボ払い地獄の住人である。学生の時に憧れのクレジットカードを作ったまでは良かったが、無知ゆえにあれよあれよと借金は膨れ上がっている。今となっては地獄だと分かっているのに現金がないからカードを使うという、正にどこに出しても恥ずかしくない立派なクズである。
自炊をすればいい、課金をしなければいい、もっと稼げる仕事に就けばいい。至極もっともであり、重々承知している。だが、やめられない。いや、課金に関してはランキング形式のソーシャルゲームから距離を置き、トレーディング商品に関しては必ず箱買いをしている友人から自分の好きなキャラだけ買取をさせてもらったりと、少しずつ離れてはきている。完全に縁が切れていないのはひとえにこの為に生きているからである。
誇張ではなく、自分はオタクコンテンツに生かされた。高校時代、なんとなくで始まった引きこもり生活で、深夜に偶然見たアニメに激しい衝撃を受けた。これをもっと見たい。来週が待ち遠しい。久しく感じなかった「明日も生きていなければ」という思いを抱けたのだ。
あのアニメがDVDになる。グッズも出る。欲しい。しかし限界集落に近しい我が家の周辺にそういった物を売っている店はない。恥ずかしながら、当時通販サイトというものには疎く、直接買いに行くしかないと、平日に真っ青な顔で切符を買って電車を乗り継ぎアニメショップまで足を運んだ。手に取った時の高揚感は、今でも鮮明に思い出せる。
それ以来、両親がいなくても外出が出来るようになった。買い物にも行けるようになった。電車に乗れるようになった。アニメショップのある場所が学校のあるところだったので、「買い物に行くついでだから」と言い聞かせて学校に行けるようになった。自分にとって、正に救いの神だったのだ。
だからといって、ここまで金を使うのは我ながら頭がおかしいと思う。リボ払い地獄に陥ってまでそれが欲しかったのか。そもそも何故リボ払いの設定をしていたのか。今でも甘んじているんじゃない。限度額が上がるのは罠だぞ。頭の中では日々罵詈雑言の嵐が巻き起こっている。
けれど、欲しいのだ。金を使うのはこれ以上ない快感だ。ちょっと欲しい。ちょっと食べたい。クレジットカードがあればなんでも叶う。馬鹿め馬鹿めと正論で止めようとする自分をラリアットで黙らせて、決済完了した瞬間の興奮は、ソーシャルゲームでやっと欲しいキャラがガチャで出た時に酷似している。金を使う快感に、欲しいものを手に入れた快感。小一時間程その興奮を楽しんだ後、領収書を見て頭を抱える。またやってしまったと。買い物依存性とはげに恐ろしいものだ。
更に自分でも意味が分からない癖に「金があると不安になって使ってしまう」というものがある。金があるならリボ払いの繰り上げ返済をしたり、貯金に回したりすればいいものを、しょうもないものを買って消費してしまう。そして残金の不安が出てくると「やっといつも通りだ」と安心する。
一体これはどういうことなのだろうか。自分でも意味が分からないし、周りに話しても「何を訳分からんことを」と言われて終わる。金があってもパニックになり、なくてもパニックになる。これはいつか直るのだろうか。いや、直さないと明日の米も買えないというのに。
どうするべきなのか、どうしたらいいのだろうか。答えは分かっているくせに悩む振りをして、今日もクレジットカードで宅配ピザを食べる。その、何重にも罪にまみれた味は、世界のどんなものより美味しい。
小さい頃から豪快に金を使う子どもだった。お小遣いをもらえばそれを握りしめ近くの文房具店に行ってはキラキラしたシールや匂い付きの消しゴムを買ってその日の内に使い果たしていた。それは今でも続き、給料日以外は常に金欠といった有様だ。よく「貯金全然してないよー」と言っている友人がいるが、よく聞くと定期預金もしており、年金型貯金のようなものもしているらしい。立派に貯金があるではないか!とつい突っ込んでしまったのは許して欲しい。こちらは本当の本当に貯金がないのだ。残金数十円の口座を何度見たことか。
そもそも何にこんなに使っているんだろう。と首を捻る振りをしているが、前述した通りだ。オタクコンテンツに湯水のようにない金をつぎ込み、金がないことや職場やSNSでのストレスを理由に外食やご褒美スイーツを買ったりしている。薄給な上にそんな使い方をしていたらあっという間に金はなくなる。例に漏れず、立派なリボ払い地獄の住人である。学生の時に憧れのクレジットカードを作ったまでは良かったが、無知ゆえにあれよあれよと借金は膨れ上がっている。今となっては地獄だと分かっているのに現金がないからカードを使うという、正にどこに出しても恥ずかしくない立派なクズである。
自炊をすればいい、課金をしなければいい、もっと稼げる仕事に就けばいい。至極もっともであり、重々承知している。だが、やめられない。いや、課金に関してはランキング形式のソーシャルゲームから距離を置き、トレーディング商品に関しては必ず箱買いをしている友人から自分の好きなキャラだけ買取をさせてもらったりと、少しずつ離れてはきている。完全に縁が切れていないのはひとえにこの為に生きているからである。
誇張ではなく、自分はオタクコンテンツに生かされた。高校時代、なんとなくで始まった引きこもり生活で、深夜に偶然見たアニメに激しい衝撃を受けた。これをもっと見たい。来週が待ち遠しい。久しく感じなかった「明日も生きていなければ」という思いを抱けたのだ。
あのアニメがDVDになる。グッズも出る。欲しい。しかし限界集落に近しい我が家の周辺にそういった物を売っている店はない。恥ずかしながら、当時通販サイトというものには疎く、直接買いに行くしかないと、平日に真っ青な顔で切符を買って電車を乗り継ぎアニメショップまで足を運んだ。手に取った時の高揚感は、今でも鮮明に思い出せる。
それ以来、両親がいなくても外出が出来るようになった。買い物にも行けるようになった。電車に乗れるようになった。アニメショップのある場所が学校のあるところだったので、「買い物に行くついでだから」と言い聞かせて学校に行けるようになった。自分にとって、正に救いの神だったのだ。
だからといって、ここまで金を使うのは我ながら頭がおかしいと思う。リボ払い地獄に陥ってまでそれが欲しかったのか。そもそも何故リボ払いの設定をしていたのか。今でも甘んじているんじゃない。限度額が上がるのは罠だぞ。頭の中では日々罵詈雑言の嵐が巻き起こっている。
けれど、欲しいのだ。金を使うのはこれ以上ない快感だ。ちょっと欲しい。ちょっと食べたい。クレジットカードがあればなんでも叶う。馬鹿め馬鹿めと正論で止めようとする自分をラリアットで黙らせて、決済完了した瞬間の興奮は、ソーシャルゲームでやっと欲しいキャラがガチャで出た時に酷似している。金を使う快感に、欲しいものを手に入れた快感。小一時間程その興奮を楽しんだ後、領収書を見て頭を抱える。またやってしまったと。買い物依存性とはげに恐ろしいものだ。
更に自分でも意味が分からない癖に「金があると不安になって使ってしまう」というものがある。金があるならリボ払いの繰り上げ返済をしたり、貯金に回したりすればいいものを、しょうもないものを買って消費してしまう。そして残金の不安が出てくると「やっといつも通りだ」と安心する。
一体これはどういうことなのだろうか。自分でも意味が分からないし、周りに話しても「何を訳分からんことを」と言われて終わる。金があってもパニックになり、なくてもパニックになる。これはいつか直るのだろうか。いや、直さないと明日の米も買えないというのに。
どうするべきなのか、どうしたらいいのだろうか。答えは分かっているくせに悩む振りをして、今日もクレジットカードで宅配ピザを食べる。その、何重にも罪にまみれた味は、世界のどんなものより美味しい。