枯葉の掃除をした。自分が住んでいるアパートは周りに落葉樹があるため、風に乗って秋の死骸がベランダに振り積もっていく。玄関の方は共有スペースということで、時々清掃の人が入ってくれるようだ。ついでにベランダもやって欲しいが、この汚部屋に人を入れるのは申し訳がない。虫の家になるかもしれないと、せっせと今までサボっていた分も小さなホウキとチリトリで集めていく。そうして、中サイズの袋二つ分の枯葉がベランダから撤去された。
枯葉を見ていると、小学生の頃に参加した焼き芋の会を思い出す。焼き芋が食べられるよと誰かに誘われたのか、経緯は全く覚えていないのだが、田んぼの中で穴を掘り、そこに枯葉や新聞紙を入れて火をつけたのは覚えている。まだ焼けない?もう食べられる?と何度も訊ねる子どもたちに、大人たちは笑いながらもう少しだよと繰り返した。その内に、石焼き芋屋が通りがかった。待ちきれなくなった子どもたちは、もうあっちから買おうよ!等と今考えたらその状況でよくも言えたなという台詞をのたまっていた。そうして、随分と辛抱して食べた焼き芋は、大して美味しくはなかった。火加減なのか、はたまた甘くない芋に当たってしまったのか。ひどくがっかりしながらもそもその焼き芋を平らげた。
芋繋がりで、もうひとつ。自分の好物の中に干し芋がある。あの素朴な甘さと噛みごたえが、ふと懐かしくなって時々買い求めるが、いまいちしっくり来ない。そして思い出すのが、今は亡き祖父との思い出だ。
祖父母は実家の近くに住んでいた。いや、同じ敷地内の別宅に住んでいた。両親が若い頃は、まだ二世帯住宅という概念は薄かったのだろう。また、あまり母と祖母は反りが合わなかったようで、きっと母を逃がす為でもあったのではないかと今では思う。仲が良くなかったというのは自分が大人になった時に聞いたので凄く驚いたものだ。
閑話休題。そんな近さに住んでいた為、小学生の頃は両親が仕事から帰ってくるまでは祖父母の家で過ごしていた。ただいまと声をかけるのは祖父母の家であった。
冬の夕方、祖父のお気に入りだった水戸黄門の再放送を一緒に見ながらこたつにあたっていると、晩酌を始めた祖父は石油ストーブの上で干し芋を温め始める。全体が温まり、焦げもついた焼きたてを「熱いよ」と言いながら渡してくれる。熱いと注意されたのにも関わらず、勢いよく口に入れては火傷をしていた。焼くと香ばしさと甘さが増して、噛みごたえも強くなる。もしゃもしゃとそれを食べながら、お茶を飲み、印籠が出てくるのを見守った。
おしゃべりな人ではなかったが、酒の肴を分けてくれたり、常にポカリスエットの缶を買い置きしてくれていて、学校から帰ればキンキンに冷えたものを出してくれた。スポーツ万能で、その頃は外で遊ぶのが好きだった自分に付き合って、テニスやバドミントン、キャッチボールもしてくれた。健康だとばかり思っていたが、冬のある日、庭先で冷たくなって倒れているのを母が見つけた。恐らく動脈瘤が破裂しての即死だったと医師は言っていた。
祖父が死に、祖母の認知症が進んだことで、祖父母宅の石油ストーブは撤去された。アパートは石油ストーブが禁止されていた。実家は最初からエアコンがついていたので、石油ストーブは置かれていなかった。
時々、熱燗の匂いと、石油ストーブの熱。祖父のお気に入りだった整髪料と、あの熱々の干し芋が懐かしくなる。けれど、二度と同じものは手に入らない。鮮明に思い出せるこの干し芋の味は、きっと美化された美味しさなのだろう。それでも良いかと思う。例え本物だとしても、今世でもう一度味わうことは出来ないのだから。
枯葉を見ていると、小学生の頃に参加した焼き芋の会を思い出す。焼き芋が食べられるよと誰かに誘われたのか、経緯は全く覚えていないのだが、田んぼの中で穴を掘り、そこに枯葉や新聞紙を入れて火をつけたのは覚えている。まだ焼けない?もう食べられる?と何度も訊ねる子どもたちに、大人たちは笑いながらもう少しだよと繰り返した。その内に、石焼き芋屋が通りがかった。待ちきれなくなった子どもたちは、もうあっちから買おうよ!等と今考えたらその状況でよくも言えたなという台詞をのたまっていた。そうして、随分と辛抱して食べた焼き芋は、大して美味しくはなかった。火加減なのか、はたまた甘くない芋に当たってしまったのか。ひどくがっかりしながらもそもその焼き芋を平らげた。
芋繋がりで、もうひとつ。自分の好物の中に干し芋がある。あの素朴な甘さと噛みごたえが、ふと懐かしくなって時々買い求めるが、いまいちしっくり来ない。そして思い出すのが、今は亡き祖父との思い出だ。
祖父母は実家の近くに住んでいた。いや、同じ敷地内の別宅に住んでいた。両親が若い頃は、まだ二世帯住宅という概念は薄かったのだろう。また、あまり母と祖母は反りが合わなかったようで、きっと母を逃がす為でもあったのではないかと今では思う。仲が良くなかったというのは自分が大人になった時に聞いたので凄く驚いたものだ。
閑話休題。そんな近さに住んでいた為、小学生の頃は両親が仕事から帰ってくるまでは祖父母の家で過ごしていた。ただいまと声をかけるのは祖父母の家であった。
冬の夕方、祖父のお気に入りだった水戸黄門の再放送を一緒に見ながらこたつにあたっていると、晩酌を始めた祖父は石油ストーブの上で干し芋を温め始める。全体が温まり、焦げもついた焼きたてを「熱いよ」と言いながら渡してくれる。熱いと注意されたのにも関わらず、勢いよく口に入れては火傷をしていた。焼くと香ばしさと甘さが増して、噛みごたえも強くなる。もしゃもしゃとそれを食べながら、お茶を飲み、印籠が出てくるのを見守った。
おしゃべりな人ではなかったが、酒の肴を分けてくれたり、常にポカリスエットの缶を買い置きしてくれていて、学校から帰ればキンキンに冷えたものを出してくれた。スポーツ万能で、その頃は外で遊ぶのが好きだった自分に付き合って、テニスやバドミントン、キャッチボールもしてくれた。健康だとばかり思っていたが、冬のある日、庭先で冷たくなって倒れているのを母が見つけた。恐らく動脈瘤が破裂しての即死だったと医師は言っていた。
祖父が死に、祖母の認知症が進んだことで、祖父母宅の石油ストーブは撤去された。アパートは石油ストーブが禁止されていた。実家は最初からエアコンがついていたので、石油ストーブは置かれていなかった。
時々、熱燗の匂いと、石油ストーブの熱。祖父のお気に入りだった整髪料と、あの熱々の干し芋が懐かしくなる。けれど、二度と同じものは手に入らない。鮮明に思い出せるこの干し芋の味は、きっと美化された美味しさなのだろう。それでも良いかと思う。例え本物だとしても、今世でもう一度味わうことは出来ないのだから。