『眠られぬ夜のために①』六月二十八日: | 真田清秋のブログ

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 『ただ単にキリスト教にすぎないものを、「神秘主義」と呼んでいる人が多い。しかし、この信仰を求める心があるかどうか、またそれに対する感受力を持つかどうかに関わりなく、誰にも理解されうるような、完全に「合理的」なキリスト教というものは、およそ存在しない。またそのようなものを作り出そうとするどんな試みも、際限のないものであって、ついにはキリスト教の真理に対する完全な不信仰に終わるほかはない。

 キリストが自ら欲したキリスト教の独自な点は、まず何らの狂信をも伴わぬ、全く明瞭で冷静な良識と、次には、超感覚的なもの、表現し難いものの経験(これを神秘主義と呼たければ呼んでもよいが、この呼び名は必ずしも適当でない)を受け入れるに相応しい繊細な心、ーーこれら二つのものの結合である。この結合の如何によって、自然に、多くの邪道が生じ、その己がさらに進み続けると、キリストが欲したキリスト教とは全く反対のものに陥ることもありうる。もしわれわれが、一方ではすでに極めて多くの問題を解決し得ている明白な実例を目の前に持っていないとしたら、また他方では、やはり旧約から出発して、かつその真実性を多くの読書も自ら経験した思われる神の確約をわれわれのものとすることができないとしたら、つねに狭い正しい道を見出すことは困難である。

 出エジプト記二三の二〇ー二二、ヨシュア記二一の四五、同胞教会讃美歌三九六番、三九九番、四〇〇番。』

 

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