鎌倉時代の西暦1221年、承久の乱に敗れて佐渡へ
遠流となった順徳帝は、草でぼうぼうになった佐渡の庭に
一茎の野菊が紫色に咲いているのを見つけ、
「紫といえば京の都を代表する美しい色だったが、私は
すべてをあきらめている。 花よ、いつまでも私のそばで
咲いていておくれ。都のことが 忘れられるかもしれない。
お前の名を今日から 都忘れ と呼ぶことにしよう」と、
傷心のなぐさめにしたという説話がある。
出典:季節の花300さんの記事借用しました。
庭に咲き出したミヤコワスレの花
おまけ アマガエルに呼び止められた朝の庭