ダッカ・レストラン襲撃事件 | KIHAMU PRODUCTS

イスラム国の拠点である、イラク北部の都市「モスル」が包囲。

いよいよイスラム国壊滅が時間の問題となってきました。

 

※モスル陥落間近となり、イスラム国の壊滅も目前。

 

7月1日はバングラディシュの首都ダッカで起こった、テロ事件から一年を迎えました。

 

この事件では

イタリア人9名

日本人7名

アメリカ人1名

を含む、22名の尊い命が、理不尽に奪われました。

 

日本ではほとんど報道されていませんが、7月1日には、ダッカ市内において、追悼行事が行われていました。

事件の現場となったレストランにも、簡素ながら祭壇が設けられ、多くの人々が献花に訪れていました。

 

※残念ながらスクショは撮れませんでした。

 

親日国であるバングラディシュでは、イスラム教信者も多く、この事件に衝撃を受けた政府は、イスラム国主導のテロを警戒し、テレビなどを通じて盛んにテロへの参加しないよう宣伝しています。

 

※人質解放のため、軍の特殊部隊が投入されたものの、残念ながら犠牲者が出てしまった。

 

バングラディシュと言う国は、基本的には農業国なので、陽気で穏やかな人たちが多い。

しかしながら独立闘争で多くの血を流していることからもわかるように、一旦火が付けば勇敢に戦う一面もあります。

 

さらに国民の多くはイスラム教を信奉する人が多く、中には原理主義的考えを持つ人もいるようです。

そういう人たちが、イスラム国の”戦闘員”の呼びかけに応じ、テロの戦闘員として彼らの言う「聖戦」へと駆り出されるようです。

 

彼らが親日であるのは、独立後にアメリカに遠慮することなく、インドに次いで二番目に国家成立を承認したことにあります。

さらに太平洋戦争に敗北後、目覚ましい経済発展を遂げた日本と言う国に、尊敬の念を抱いているかららしいです。

 

イスラム国のテロに参加する輩には、もはや親日など関係なく、コーランこそが正義であり、イスラムを信奉しない者はすべて敵であると、そういう考えのようです。

 

しかし、まだまだ現地の人々は、日本に対して親愛の情を捨ててはいません。

今回の一周忌の数々の行事が、それを示していました。

画像がないので、説得力はありませんが、本当にたくさんの現地の人が、献花や集会に参加していました。

 

※事件発生後、多くの人々がテロの犠牲者を追悼した。

 

私はベンガル語は分かりません。

ところが、何度となく聞こえた「Japan」「Nippon」という言葉だけは認識できました。

祭壇の中央には、亡くなった7名の遺影も飾ってありました。

 

イスラム国の崩壊もカウントダウンが始まりましたが、崩壊後は全世界に散らばったテロリストの潜伏が始まります。

一般市民に紛れて爆弾を爆発させるため、ゲリラ戦と同じ状態が、全世界に繰り広げられます。

現にイギリスやフランスでは、テロが続発しています。

 

ゲリラ戦では多くの血が流れます。

何百万人と言う単位ではないにせよ、たくさんの人が亡くなります。

おまけに「勝利」(=安全)を手にするには、相当時間がかかります。

 

テロ等準備罪がどうこう国会で騒いでいましたが、実質的に運用するには、かなり難しいでしょう。

運用が難しい法律なのに、躍起になって反対する意味が分からないし、イメージダウンを狙っているなら、税金返せと言いたい。

 

テロを未然に防ぐ最も重要な作戦は、「教化」です。

 

テーマが「宗教」ということになるので、簡単に相互理解が進むとは思えません。

「宗教」を「主義・主張」と置き換えれば、分かりやすいと思います。

程度の低い者同士で議論すれば、相手の立場や状況を考える術を知らないので、必ず熱を帯びて「アホ・バカ」の低レベルな口論へと堕ちます。

それでは何の意味もない。

 

※イスラム教は厳しい戒律を守ることが重視されている。

 

日本で不幸にもテロが発生すると、国論は一気に「イスラム憎し」になるのも容易に想像できます。

しかし、彼らは隣の野蛮人と違って、妬みをベースにテロを起こすわけではない。

単純に自分たちの一部である「教義」を曲解しているのであって、議論の過程でその捻じ曲がった考えが修正できれば、テロも未然に防げるはず。

これが「教化」です。

日本人は幸い「宗教」には無頓着なので、俯瞰的立場で議論することができる余地があります。

 

異文化との接触は、往々にして摩擦を生み出してきました。

摩擦を少しでも減らすには、ひいては日本でテロが起きないようにするには、ムスリムの人たちを理解することから、始める必要があるかもしれない。

 

 

とにもかくにも。

異国で命を落とされた7名の方々の、ご冥福をお祈りいたします。

と同時に、我々同胞に追悼の意を示してくれた異国の人々に、感謝したいと思います。