笑う角には、しあわせきたるの* -7ページ目

笑う角には、しあわせきたるの*

適当に歩いてたどり着いた場所も、
私が向かうべき街まで きっと続いてるの。

文章を書くこころ―思いを上手に伝えるために (PHP文庫)/外山 滋比古

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* 出会い

文章力をつけたいと思い、
なにかヒントになる本を探していた。
すると先日読んだ「思考の整理学」の著者でもある
外山さんの名前を見つけた。

前回の作品がとても良く、
もう一度この人の世界観に触れたくて手に取った。



* 著者紹介

外山滋比古。

日本の英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト。文学博士。
専門の英文学をはじめ、言語学、修辞学、教育論、意味論、ジャーナリズム論など広範な分野を研究し多数の評論を発表。
長年、幼児・子供に対する“ことば”による情操教育・知育の重要性を提唱。(Wikipediaより参照)



* 内容

まず、自身に問うてほしい。
あなたにとっての文章とは何なのか、を。




ピンと来なかった方のために、もっと簡単にしよう。
あなたは日頃、“文章を書く”機会があるだろうか


それはいつか。




例えば数日前までの私は情けないが、
・ twitterのつぶやき
くらいだろう。

しかし、著者の作品である思考の整理学や本書を読み終え、
身近にもたくさん“文章を書く”機会は頻繁にあるのだと認識が広がった。




まず、文章とは何か。
ここで著者の言う文章は【料理】に例えられている。

作った人も味見をする。
しかし食べてくれる人が居なければ張り合いがない。
誰かに食べてもらうには、何を食べているかが相手に分かる必要も在る。
何を食べているか分からないものを食べても美味しいとは思いづらい。
それらができて、相手が美味しいと感じれば、
食べているものを夢中にすれば、
一流だろう。
そんな料理を出すお店は、大繁盛は間違いない。

文章も同じである。

ここで私の書評を照らし合わせると、
まず本を選ぶ。
読みながら気になった部分をスケッチブックに残す。
読み終えたら、書評で書きたいことを選択する。

ここまでが終わればPCの前に移動し、
まずざっと文章をワードに書き出し、誤字や脱字をシステムに拾わせる。
見直して、よしとなればインターネットを接続して
アメブロの記事に貼りプレビューで確認。
この段階が味見である。

そしてブログを更新。

リアクションが欲しいため、twitterやmixiのつぶやきで広める。
読んでくださる人が居るから、私も書こうと思える。
これからもおもしろい文章を書いて皆さんに味のある書評を提供するべく、
せっせと謙虚に綴っていくつもりだ。

本書にはおもしろく、読みやすい文章を相手に届けるための極意が書いてある。
ぜひ、文章を書くことが楽しい人や、
これから書く機会を増やそうとしている人には一読願いたい。



次に、文章を書く認識が広がった原因は、
「子を憶う手紙」の節を読んだからである。

私は、手紙をよく書く。
しかしそれを上回る二人の父親が居た。

本書には、チェスターフィールド伯爵と
福沢諭吉の例が出ている。
この二人の書いた、実の子どもへの手紙が参照されている。

チェスターフィールド伯爵に置いては、
ほとんど毎日息子に向けて手紙を書いていた。

どれほど暇なのだ。

まぁしかし、毎日違う内容を一人に向けて書くことは至難の業である。

私は少し小馬鹿にして読み進めていくと、
本書に登場しているだけある。
紹介されている手紙の内容がなんともすばらしいのだ。

少しだけ紹介しよう。

「世間の知恵というものは、世間に出て身につけるものだ。書斎にこもっていては学べない」1746年10月4日
「怠惰は弱き心を持てるものの隠れ家にすぎない」1749年7月20日
「今の人のことを軽蔑した口ぶりで語ってはならない。古人のことをやたらにありがたがってもいけない」1748年2月22日

本当に、暇といって申し訳ない。

息子が怠惰になってしまうことを恐れ、
せきたてようとする暖かくも厳しい親心が見受けられる。

このような父親の見識の広さ、
子に対する権威は今の親たちに在るだろうか。

私もいずれ子どもを持つ時が来たなら、
子どもを憶い、このような手紙を出せる聡明な母になりたい。

そのためにはまず、日頃文章を書く機会がたくさんあることに目をやろうという気になったのだ。
文章を書くことは積み重ねなのだと書評を書き出してから感じている。

聡明な母になりたい。
このこころを持ち続けながら、これからも文章を書き続ける。



*まとめ

「文は人なり」という言葉が登場する。

これは本当にそうである。
”こころ”がない文章には誰も、見向きもしないだろう。

私の文章に心がなければ、
アクセス解析で顕著にそれが現れるだろう。
それを考えるとgkbu(ガクブル)である。

楽しんで今を表現できるこの環境に、
感謝を忘れずこれからも表現して生きていきたい、

と、憶う。
日本語はなぜ美しいのか (集英社新書)/黒川 伊保子

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*出会い

当初、対話に関する対談形式の本を読んでいたのだが、
諸事情により、
同居人の部屋の片隅に置かれていたものを
またも手に取る。

後に聞くと、
友人からの預かりものだとか。

すばらしい本との出会いは
本当にひょんなことから。*


*著者紹介

コンピューターメイカーで人工知能開発に携わった著者、
黒川伊保子さんは”脳と言葉”を研究していた。

感性アナリスト。
世界初の語感分析法である『サブリミナル・インプレッション導出法』を開発。
マーケティングの世界に新境地を開拓した、
感性分析の第一人者である。

またこの本以外にも恋愛を脳の働きの面から解析した
「恋愛脳」
「恋するコンピューター」
「王子様に出会えるシンデレラ脳の育て方」など
興味深い本を多数執筆されている。


*感想

”日本語はなぜ美しいか”と聞かれて、
すぐに答えられる人は少ないだろう。

そもそも、日本語が美しいという概念を
私たち日本人は持っているのだろうか。

私は持っていなかった。
そこまで日本語に対して興味を持っておらず、
英語を使えるようになりたいと切望しているタイプの人間である。

この本はまず、
言葉の成り立ちから、
それ自体がはらんでいる性質、
そしてそれを使う人間をグローバルな視点で観察し、
歴史的変遷から、ソクラテスの視点、
言葉と脳のメカニズムから
人間に及ぼしている影響まで、
様々な分野で”言葉”について言及してある。

その中で、一貫して著者から伝わるメッセージは、
”英語の早期教育に対する懸念”である。

現在、小学校で英語教育が導入されたり、
親子で留学等の仕組みもある。

そのせいで正確な母語を形成できず、
心を表現するすべがないために
コミュニケーション障害になってしまった場合
それこそ引きこもりのオンパレードの可能性大である。

しかし、世の中にはバイリンガルやトゥワイリンガルで成功し、
それを職にしている人はたくさんいるだろう。
想像力よりも語学力の方が手に職をつけやすい時代であるのは明確だ。

彼らは確かにかっこいい。間違いない。

著書によると、
およそ8歳になると人間は脳の臨界期を迎える。
母語と社会性を対応させる段階に突入する。
しかしその時期に母語を公共の場で育めなかった場合、
心を表現する言葉を
子どもたちが失ったまま生きていくことになってしまう。

この現象を“母語喪失”という。

また、9~11歳になると脳は完熟期を迎え、
感性と論理をつなげ豊かな発想と戦略を練ることに
長ける時期に突入する。
クリエイティブな子どもを育てたい場合は
この時期まで二次的言語を取り入れない方が良いと述べている。

それを考えると、
私は脳に適正な年齢を考え、子どもたちの基礎を培ってから
第二言語へ幅を広げること重要であると気づいた。

出張で海外に出ている家庭は、
母語を正確に確立できるように、
子どもの発達段階を考えた接し方、正しい方向に導くことが
その子の気質を大きく変化させるのである。

哀しいのは自分自身が話すこともできない言語を
単に「国際人が必要とされている」という社会の潮流にのまれ
詰め込ませる風潮ができつつあるところにある。

不安定な状態で母語を形成して成長すれば、
ものの見方の原点が定まらないため、
世界中のどこに行っても異邦人のように感じてしまうだろう。
自己の存在価値を確かめるため、
相対的な価値を求めてしまうのである。

他者に優位であることを示し続けながら生きていくことになる。

ここで私は、
母語の獲得は自己哲学の形成に深く関わっているのではないかと考えた。

ものの見方の原点が定まらない状態は、
自己哲学が無いためだと見なしている。

自己哲学は何歳になってもどこで暮らしても、重要であると考えている。
どこで暮らすか、そこのルール、
人との関係性を築くなど、
自分で正しい/正しくない、従う/従わない、を選択することが
何かと対峙する以上
極論を言えば、生きている以上まとわりついてくるものであると思っている。

ここでいう自己哲学とは変化するものである。
別に大きなことを言っている訳ではなく、
その人自身の根本である。

自己哲学のない人間とは、
同じテーマで話すと、いつも言っていることの芯が違う人のことを指す。



ここで少し、話を変えてみる。

日本語は、島国で確立し洗練された言語で、
骨格・風土・意識・身体感覚などが深く結びついているそうだ。
また、母音を主体として音声認識をする世界で三つの言語のうちの一つである。
(あと二つはポリネシア語とハワイ語)

ここで、おもしろいと感じたのは
骨格の違いによって感性が全く違うという点である。

詳細に話すと、大腿骨の終盤を骨盤のお皿が接合しているのだが、
この骨盤のお皿の丸みが人種によって違うらしいのだ。

そのお皿の丸みによってリズム感や所作も違ってくるそうだ。
日本の能と、南米のラテンダンスが分かりやすい例として出ている。

ということは、
それぞれに気持ちよいと思うポイントが、
腑に落ちるポイントが骨格が違えば違うことになるのだ。

私はこの時、南米の人とワールドカフェをやると
本当の多様性に驚きを隠しきれなくなり、
着地点が見えず、もがいて、足掻いていくうちに、
私自身の懐の深さはどんどん大きくなっていくのではないかと考え、
世界船でワールドカフェを行った
いくちゃんの話をとっても聞きたくなった。



更に読み進めていくとなんとも面白い出会いがあった。
それは言語なのかも不思議なものなのである。

それはインドの古代語「マントラ」である。
サンスクリット語の一種で、
なんとこの言語は意味を持たないのである。

(マントラを聞いた瞬間、
ワンピースを思い出した人も多いのではなかろうか。w)

このマントラはインドの宗教書、ヴェーダ文献の本集を記すのに使われている。
ヴェーダ文献とは世界無形遺産に登録されているものである。

長い時間をかけて後述や議論を受けてきたものが
後世になって書き留められ記録されたものである。
そこには、人の神経に対する影響ごとに音体系に明確に分類されているのである。
また、言葉の音が神経系に影響を与えるということが
大昔に編纂されたものであるのにも関わらず基本哲学となって伝承されているのである。

話を戻すと、マントラは
人間の神経を沈静化させ、意識を導く作用があるらしい。
マントラがどんなものか気になる人は、
ぐぐると視聴できるのでぜひ聞いてみてほしい。(お手軽w)
ぜひ、感想を共有したい。

そして日本語は天台宗の僧侶が提案したものであるため、
このヴェーダの音韻が影響されている可能性があるのだ。

日本語の神秘性がますます帯びていき、
読み進めながら鳥肌がたちつづけた。



* まとめ

日本人とは、何なのか。
日本語とは、どういうものなのか。
どんな仕組みでできているのか。

いつも使っているもの。
生まれたときからとっさに放っている言葉。

それらは私の知らない人たちの積み重ねのなかで作られていて
その知らない人たちの存在に終止想いを馳せた。

先人の素晴らしさには頭が上がらない。


日本人に憂いている人
日本に飽きている人
ぜひ、原点を感じることのできるこの作品に
積極的に触れてほしい。

そして日本に対して改めてどのように感じたか
その変化を知らせてほしい。
共有したい。


感じることが多すぎて、
スケッチブックにまとめすぎてこんなにも長くなってしまいました。

ここまで読んでくれて、
もーれつ、ありがとうございます(ぺこっ)


どーん。

$笑う角には、しあわせきたるの*-IMG_2826.jpg

これは、卒論の発表が終わったことを記念して作った
おつかれさまのぷりんを持つ同居人。

題して、
”朝一番、精一杯の喜び”である。


昨日、ぴかぴかの日本酒立山学校にゅーがく!おめでた!

商店街の八百屋さん、あっちゃんと乾杯♪

$笑う角には、しあわせきたるの*-IMG_9245.jpg

よーやく焼酎と日本酒の違いが
わかるようになってきた*


大人の階段のーぼるーーー♪pq




今日は経産省で若者の「働く」について話し合った時
隣の席に座っていた東大博士課程のゆりさんを誘い、
下北でーとしてきました♡



ゆりさんは、学部生のとき化学を専攻していたけど、
何か人の役に立てるように還元したいという想いから
生物の修士に進み、
サラリーマンやOLの概念がないため、
起業したいと経営の博士に進学。
現在は”大学発ベンチャー”について研究している。

編入で学部に迷っているわたしとしては、
生き方を学べる人だ!とレーダーがピン!!

それは、間違ってなかった。

様々なことを話した。
・東大にマッサージ屋さんが30分500円という破格で設置されてあること。
・40後半の男性に激モテであること。(ゆりさんはべっぴんさんです)
・ゆりさんの課には中国人が多すぎること。などなど。

お互いの今までの恋愛や、
結婚観、ジェンダー論、生物学的な話、教育学的な話などなど。


私は今飛び込むことに悩んでいる。
このまま教育について学びを深めていった方が良いのか、
気になると思った方向へ進んでいくのが良いのか相談した。


ゆりさんは、
自分が専攻をどんどん変えていったときのことを話してくれた。

ゆりさんは学部生活をお茶女で、
修士からは東大で入学金やらは自分の稼ぎや奨学金など
自分の道は自分の力でなるべく切り開いた人。

話の最後に、
”結局後から、そこに進んだ意味なんて見つかる”と一言。
他の人にこの言葉を言われるより、
ゆりさんに言われたのが今までのだれより響いた。

「いろんなバイトをしたよ」と、笑ってそのときの苦労話をしてくれた。


あと面白かったのは、生物学的なものの捉え方。

ゆりさんはさらっと、「卵子を冷凍したい」と私にいった。
私はその意見が耳慣れしてなさすぎて驚いた。

その理由は、女性の卵子とはあるものをどんどん出す仕組みであり
自分は45歳くらいで子育てに真剣に取り組みたい。
そのため、若いうちに卵子を保存しておいて、
タイミングが来たら自分の若い卵子を受精させたいとのこと。

そんな生物学的な考え方をしたことがなかったが、
ゆりさんが淡々と話すその理由が明確で分かりやすくて、
なんか感動してしまった。w

卵子を保存するには一つ30万円くらいするというのには、
ちょっと気が引けたけど。。


また、最近は科学の進歩によって
妊娠して羊水を調べるだけで生まれてくる子どもが
ダウン症であるか、障害を持っているかが分かるらしい。
私の知らないところでどんどん進んでいる科学に
少し触れてどきどきがとまらなかった。

そこで、わたしは打ち明けた。


「正直、ダウン症の子どもは生みたくない」と。


こんなことは、日頃居る幼児教育のテリトリーで
あまり言うことではきない。

しかし、ゆりさんはその考えに共感し、
科学の進歩に置ける倫理的な問題に焦点を当てた授業の話をしてくださり、
更に盛り上がった。


次に、男女平等について話したことも興味深かった。


ゆりさんが会社を立ち上げるために
大人の人に話を持っていった際、聞く側が明らかに
ゆりさんを「女としてみる」ことしかせず
とても悔しい想いをしたエピソードがきっかけだった。

私が「まだ男尊女卑って残ってるのかな。」とつぶやいた。

するとゆりさんは、
「私は進化論や遺伝子の視点で見ているからかもしれないけど、
男性と女性に違いがあるのは当たり前。」と言い切った。

更に、「今の世の中、女らしく生きることを捨てられない。
例えば、男の人が髪を乾かすのに使う時間の使い方と、
女の人が髪を乾かすためために使う時間の使い方で差があるのに、
男の人と同じように時間を使うことはできないでしょ。

男の人はなんでもマクロな視点で、世の中を変えなきゃ!と勢いが在るけど、
女の人はミクロな視点で、いまの世の中でどうやって生きていけば
より素敵に生きていけるか、について考えることができるでしょ。」と、
双方が持つ捉え方を分かりやすく私に説いてくれた。

この話し合いは、私にとって斬新だった。
ゆりさんは生物の世界で生きているから、
そのようなことは違いを当たり前とはっきり認識している。

私は日頃、
男女は常に平等であるという考えを子どもに持ってもらうために
自分自身も、男女は平等であるという憲法を学んだり、
そのような考え方にのっとって物事を捉えるようにしていた。

そのため、男女は平等じゃないと言い切るゆりさんの意見が
とても新鮮だった。
久しぶりに理系の人と学んでいるところを交わし合ったせいか、
地球の裏側に住んでいる人と話している気持ちになった。

全く知らなかったことを知ること。
その中に共通するものをみつけること。

もっともっと
違う生き方の人に出会って、
もっともっと知らない世界をみにいこう。

生き方をしりに。

混ぜ合わせに。


人生はたびみたい!ね!