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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、前回の記事の続きです。
アドラーによれば、躁病においては、患者は、自分を主張し、行動を強調し、やたらと興奮してしゃべったり笑ったりする、ということなのです。
彼(女)らは、意気盛んで興奮しやすく、大きな計画を立てたりします。
また、自分がとても優れている気がして、自分の力を自慢したがり、性的な傾向を強く示したりもします。
それゆえ、躁病の患者には、監視をする必要がある、と指摘しています。
なぜなら、危害を加えるかもしれないからです。
しかし、このような段階は、一瞬燃え上がるだけで、すぐに燃料が尽きてしまいます。
当然、その次に来るのは、うつ病の段階なのです。
この、うつ状態の患者を決して監禁してはいけない、とアドラーは述べています。
そんなことをすればほぼ確実に、何も表現せずに閉じこもってしまうようになるからです。
躁うつ病の交互のフェーズを示す人は、幼い頃にも同じパターンの行動のフェーズをいくらか示しているものです。
まずは興奮し、そしてすぐにうつ状態になるのです。
この傾向は、筆跡にも現れる、とアドラーは言います。
単語の始めは大きく書くけれども、だんだん小さくなって、行をそれていく、というのです。
最初は素晴らしいのに、急に下降していくフェーズが、人生を通じてずっと周期的に繰り返されるわけです。
ここで、アドラーは、躁状態が非常に早く終わる男性の患者を診察した時のことを話しています。
アドラーが、入院したその患者を訪ねると、何日か前に看護師に乱暴な扱いを受けたので家に帰してくれ、と頼まれました。
既に回復しつつあり、目に見えてよくなってきていたため、アドラーは、連れて帰ることにしました。
帰宅した後、男性の家で二人でテーブルに着いた時、その患者は、満足そうに次のように言いました。
「私の人生は、いつもこんな感じなんですよ。いつだって望むものを手にしてきたんです」と。
この時、アドラーは、彼が受けた乱暴な扱いのことだけを考えていたのに対して、男性は、退院することしか考えていなかったのです。
これが、客観的なコモンセンス(共通の感覚)と、躁病の土台である「個人の感覚」の違いである、とアドラーは締めくくっています。
【参考文献】
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