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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、昨日の記事の続きです。
昨日の記事では、アドラーは、
「人間関係の問題は、他人に関心を向けるようになれば、その解決方法が見つかる」
と言っている、ということを書きました。
そして、他人に関心を向けるとは、他人のことを考えることであり、それは、いかにして他人に貢献するか、そのときに自分は他人に対してどのような貢献ができるか、ということを考えることだと言える、
ということを書きました。
では、たとえば、それほど仲の良くない知り合いの人たちからの誘いに対して、どのように対処すれば、その問題を解決することができるかを考えてみましょう。
それが、食事の誘いだったとします。
そして、その人たちとは、あまり人間関係がうまく行っていないとします。
そのときに考えることはまず、自分はどうしたいか、ということです。
「できれば行きたくない、断りたい」、
そう、自分は思っているとします。
そのような状況でいかにして相手の人たちに貢献することができるでしょうか。
そもそも誰かの誘いに貢献する一番の方法とは何でしょうか。
それは恐らく、誘ってくれたことに感謝し、参加して大いにその場を楽しむことでしょう。
しかし、誘ってくれたことに感謝することができず、参加しても大いにその場を楽しむことができないとすれば、どうでしょうか。
自分がイヤイヤ参加することによって、その場の雰囲気を壊してしまったり、誰かを不愉快にしてしまっては却って迷惑を掛けることになります。
そのようなときには、その誘いを断ることが、そのときに自分ができる貢献の最善の方法ではないでしょうか。
そして、もしそのことによって、その人たちが自分を嫌うようになったとすれば、そのことを受け入れることがその人たちへの貢献になると思います。
そして、何かの機会に、その人たちに何かの形で貢献できることがあれば、喜んで貢献する。
私自身は、『嫌われる勇気』をこのように捉えています。
人は誰しも、自分の生き方や考え方を尊重してもらいたいと思っています。
それゆえ、他者に関心を持ち、他者に貢献するとは、まずは他者の生き方や考え方を尊重することだと思います。
ただしそれは、相手の考え方に賛同したり、無理をして相手のことを好きになったり、我慢して親しくなったりすることではありません。
ある人と接触していることによって、その人を不愉快にする言動をしたり、あるいはその人の悪口や不満を言わなければならないのであれば、その人との接触を切ることが、その人を尊重し、その人に貢献することになる場合もあるでしょう。
そして、相手の人が自分のことをどのように思っていたとしてもそれを受け入れることが、相手の生き方や考え方を尊重し、相手の人に貢献することになると思います。
もちろん、自分の身体に危害が加えられたり、何かの犯罪行為に巻き込まれたり、あるいは精神的に追い込まれてしまったりしているときなどは、自分を守ることを優先的に考えるのは当然のことです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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