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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、昨日、算数の順序問題に関する記事を書いたところ、あるコメントをいただきましたので、そこから思いついたことを書きたいと思います。
(昨日の記事はこちら→http://ameblo.jp/kiduki-in/entry-12222781757.html)
たとえば、算数において、
「4人に鉛筆を3本ずつ配る場合、全部で何本いるか?」
という文章問題が出された場合、これを解く人が、人に価値を置き、人を主体に考えるのであれば、
「4人に3本ずつ配るから、4×3」
と考えるかもしれません。
これに対して、ものに価値を置き、ものを主体に考える人であれば、
「鉛筆3本ずつを4人に配るから、3×4」
と考えるかもしれません。
これは、何に主体を置いて考えるかという違いであって、どちらも間違いではないと思います。
翻って、自分のことを見てみれば、
私は、個人の主体性に価値を置き、人が幸せな人生を歩むためには、一人一人が自らの欺瞞に気づき、それを変えることが重要だと思っています。
それゆえ、そのことを主たる目的とした活動をしています。
ただ当然のことながら、人が幸せに生きる上で、この考え方が唯一のものではないですし、必ず正しいとは言えないでしょう。
これに対して、自分自身を主体に考える人もいるでしょう。
そのような人たちは、自分が感じている苦悩は、社会のひずみが生み出しているのだ、と考えるかもしれません。
その場合には、その考え方に基づいた問題へのアプローチや解決法が考えられることになります。
それがもしうまく行かないのであれば、違った考え方を見出すのも一つの方法です。
またこのとき、自分ではなくAさんという他人を主体に考えた場合には、Aさんの苦悩は、社会のひずみが生み出しているということになり、このときには、自分自身が、そのひずみを生み出している社会の一員ということになります。
それゆえ、当然のことながら、Aさんの問題を解決するためのアプローチや考え方は異なったものになるでしょう。
このように、その人が、何に価値を置き、何を主体としてものごとを見ているかということによって、ものの見方や考え方、そしてそれを解決する方法も異なってきます。
今、自分自身が何に価値を置き、何を主体にものごとを見ているか、そんなことを考えながら自分を俯瞰してみれば、自分の行動の意味が理解できるかもしれません。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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