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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、私たちは、日常生活の中で、他人の言葉に一喜一憂します。
イラっとしたり、カチンと来たり、傷ついたり、悲しんだり、などなど。
しかし、本来他人の言葉に、あなたを傷つける力はありません。
ただ私たちが、他人の言葉には自分自身を傷つける力があると思い込んでいるのです。
たとえば、仕事でミスをして、それを上司に報告せずに注意を受けたとしましょう。
上司は、あなたにこう言います。
「なぜ、ミスをしたらすぐに報告しないんだ。
そんなことだからミスをするんだ。
だいたい、君はミスが多すぎる」。
このように言われれば、大抵の人はカチンと来るでしょう。
しかし、よく考えてみてください。
この上司の言葉の中で、事実なのは、「ミスをしてすぐに報告しなかった」ということだけです。
後の残りは、単なる上司の意見に過ぎません。
それゆえ、報告しなかった非はきちんと認めて謝罪はしても、上司の意見は、何も鵜呑みにする必要はないのです。
ただ、意見はその人の意見として拝聴しておけばいいのです。
しかし、私たちは、相手の言葉の事実にではなく意見に反応します。
そして、相手の意見をわざわざすべて鵜呑みにし、それがさも事実であるかのように受け取って一喜一憂するのです。
相手の意見は、あくまでもその人の意見に過ぎないのです。
他人の言葉に対して、その言葉のどの部分が事実であり、どの部分が意見なのか。
そのことに注意しながら耳を傾ければ、不必要に心乱されることも少なくなるのではないでしょうか。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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