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心理コンサルタントの福場です。
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白瀧の記事を読んで、
あらためて、アドラーがいかに科学的であるかと思った。
数式でたとえれば、等式とは、左辺と右辺は同じという意味である。
つまり、アドラーは人間、さらにすべての生命体がプラスの方向に進んでいるということを前提としており、事実、その点をきちんと理解しているということである。
だから、もし葛藤というものが意識と無意識の衝突であるならば、この意味において、おおきな矛盾となる。
等式ではないということになる。
人間、すべての生命体は後退し、破滅するために生まれてくるということになる。
こんな前提は間違っていることは明白だと思う。
では、なぜ?子孫を残すことを欲するのか?
では、なぜ?食べることを欲するのか?
では、なぜ?幸せになろうとするのか?
その説明ができないからである。
今朝、施設にいる親父に、下着と靴下を買って持って行った。
体調はどうや?と声をかけると
下をうつむき、苦虫をつぶした顔をして、首を少し傾け横にふり、小さな声であかん。。。と言う。
親父は、いつものように(わたしの知り限り若いころ)
このしぐさをする。
親父の母親(祖母)も同じだった。
その姿を生前の母は、陰気臭いと嫌がったことを覚えている。
母親は、明るく、本当に体調が悪いときでさえ、このようなしぐさをしたこともなく(わたしの記憶では)
笑い飛ばしてたことを覚えている。
それでもこのしぐさをするのです。
今、人生の
そして、無意識の意味が教えてくれるのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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