体罰は是か非か | 人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

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心理コンサルタントの白瀧です。


さて、今からもう2年ほど前になるでしょうか。


大阪の市立高校のバスケットボール部のキャプテンだった男子生徒が、顧問の男性教諭からの体罰を苦にして自殺する、という事件がありました。


この手の問題が起こると、必ず持ち上がるのが『体罰は是か非か』という議論です。


この議論では、賛否両論ありますが、大抵は、「体罰は、単なる暴力だからダメだ」という意見が主流を占める傾向にあります。


それでも、中には、体罰を容認する意見もあり、その意見は多くの場合、


生徒との間に信頼関係が築けていれば、生徒はそれが暴力ではなく、生徒への愛情の裏返しだということがわかってくれる」


という趣旨のものがほとんどです。


また、かつて運動部に所属し、体罰を受けてきた人の中にも容認する人は多く、その人たちの意見は、


教師との間に信頼関係があったので、それが、暴力ではなく教師の愛情だということがわかった。」


「殴られても仕方ないようなことをしたと分かっていた」


というようなものです。


これらの容認派の意見は、確かに尤もらしく聞こえますが、残念ながら、その中にある矛盾には気づいていないようです。


まず生徒の側から言えば、殴られても仕方ないことをしたと分かっていたのであれば、それは、殴らなくても口で言えばわかったということを意味しています


つまり、教師との間に信頼関係が築けていれば、殴る必要はなく、口で言えば十分わかるということを言っていることになります


また、教師の側からすれば、生徒との間に信頼関係が築けているのであれば、果たして体罰を加える必要を感じるでしょうか。


生徒を信頼しているのですから、口で言えばわかると思うはずです


そもそも、本当に教師と生徒の間に信頼関係が築けているのであれば、体罰を必要とするような行動を生徒が取ることはないでしょう


これは、親子の関係も同じです。


親と子の間に信頼関係が本当に築けているのであれば、親が子の行動に対して「ああだこうだ」言う必要性を感じることはないでしょう。


信頼するとはどういうことか


まずはそのことを知る必要があるのではないでしょうか


最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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