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心理コンサルタントの白瀧です。
「何か、来る!」
そんな胸騒ぎと共に、私は目を覚ました。
辺りは静寂に包まれ、まだ夜の闇が、その色を変えずに世の中を支配していた。
と、次の瞬間、下から突き上げるような激しい揺れが、突然、私を襲った。
阪神・淡路大震災から、今日で20年。
幸いにも、私は京都に住んでおり、大きな被害からは免れることができました。
揺れが治まるのを待って、寝床から跳ね起きると、思わず家の外に飛び出したのを覚えています。
暗闇を通して辺りを観察すると、いつもと変わりのない風景が広がっていました。
「どこも被害は無さそうや」
安心して家に入り、地震の規模を確認するために、テレビを点けました。
東の空が徐々に白み始め、何もなかったかのように、いつもと同じ太陽が顔を出すと、事態は一変しました。
テレビから流れる神戸市の風景は、まるで空爆にでもあったかのよう。
支柱が根元から無残にも折れ曲がり、横倒しになぎ倒された阪神高速の姿は、私から言葉を奪うほどの衝撃でした。
阪神・淡路大震災は、大地震に対する我々の認識を大いに変え、また、その後の東日本大震災は、津波に対する我々の認識を大いに変えました。
震災は、いつの時代も、自分たちの大切な人たちの命を一瞬にして奪い去ります。
残された者たちは、ただただ悲しみと後悔の念に苛まれるだけです。
「もっと親孝行しておけば良かった」
「もっと優しくしておけば良かった」
「もっと話がしたかった」
「なぜ、もっと素直になれなかったのか」
「もっとこうしてあげれば、もっとああしてあげれば…」
後悔は、後から後から大きくなるばかりです。
人間は、究極の楽天家だと言えるのかもしれません。
なぜなら、誰しもが、明日は必ず来るものだと思い込んでいます。
「また、明日」
そんな思いから、今、目の前にいる相手との関係さえも、ついつい等閑にしてしまいます。
しかし、私たちは、残念ながら、何が起こるかわからない偶有性の中で生きています。
それゆえ、すべての人に必ず明日が来るとは、決して言えないのです。
それを知るのは、常に、大切な人が二度とは帰らぬ人になった時だけです。
「一緒にいられるのは、今が最後かもしれない」
「これで、もう二度と会うことができないかもしれない」
そんな気持ちを常に胸の中に抱きながら、目の前にいる人との『今』という時間を大切にする、その必要があるのではないでしょうか。
決して後悔しないために。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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