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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、先日、STAP細胞の論文問題に対して、理研の改革委員会が再発防止策を盛り込んだ提言を発表しました。
提言の内容について、あれこれ言うつもりはありませんが、ただ、その中で一つだけ気になったことがあります。
それは、小保方氏の採用基準に関するものです。
提言の中では、小保方氏を採用する際、本来あるべきプロセスが大幅に省略されたことを問題視しており、それが今回の論文問題に繋がったような指摘をしています。
しかし、それは大いにおかしい。
なぜなら、今回の問題は、採用のプロセスの問題ではなく、あくまでも本人の問題だからです。
たとえ採用のプロセスが厳格であったとしても、問題を起こす人間は問題を起こすでしょう。
採用のプロセスと問題が起こるかどうかということの間には、何らの因果関係もありません。
人の行動の責任は、あくまでもその本人にあるはずです。
採用のプロセスが、その人の行動の責任を取ってくれるわけではないのです。
しかし、私たちは、往々にして、今回のような場合、採用のプロセスが問題の責任を取ってくれるかのように勘違いしています。
つまり、採用のプロセスにおかしいところがあれば、さもそれが問題を引き起こしたかのように勘違いするのです。
そして、そのプロセスが厳しかったときに初めて、それが本人の問題であると帰着することが出来るのです。
しかし、採用のプロセスがどうであろうと、本人が起こした問題は、常に本人に帰着するものです。
たとえば、今回の論文問題においても、共同執筆者の人たちが、
「自分が関わったのはこれこれこういうことだけだ」
としきりに言い訳をしていましたが、問題は、自分たちが関わった研究の範囲にあるのではなく、自分たちがチェックを怠ったことにあります。
つまり、あくまでも問題は、その本人にあるのです。
私たちは、それが誰の問題であるかということを大いに勘違いしてしまいます。
たとえば、子どもが問題を起こせば、
「親の顔が見たい」
などと言います。
しかし、子どもの行動の責任は、本人である子どもにあるのであり親にあるのではありません。
親はそのことを忘れ、子どもに帰すべき責任を自分たちでかぶってしまおうとします。
それが良い親だと勘違いしているのです。
そのために、子どもは、自分の行動には責任が伴うことを学ぶことが出来ず、いつまでも他人に責任を押し付ける行動ばかりを取るようになるのです。
自分がどのような行動を取れば、どのような結果が伴うのか。
親は、そのことを常に子どもに教える必要があるのです。
子どもの行動の責任を肩代わりすることが、決して親の役割ではないのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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