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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、今朝未明、17日間にわたって繰り広げられた雪と氷のスポーツの祭典であるソチオリンピックが閉幕しました。
大会中は、連日、寝不足気味で悩まされましたが、終わってみればとても寂しい気がします。
選手の皆さんの中には、自分の思い通りのパフォーマンスができた人もいれば、実力が発揮できずに悔しい思いをされた方もいらっしゃり、それこそ悲喜交々。
本来であれば、すべての選手が、この4年間の努力を無駄にすることなく、悔いのないパフォーマンスで終われることが一番良いのですが。
しかし、オリンピックと言えば、常に問われるのがメダルの数。
そして、結果だけを見て、あれこれと批判の声を上げる外野も多い。
その中に、
「負けたのにへらへらと『楽しかった』は有りえない!」
という批判をした人がいました。
「国費で参加している以上、オリンピックは選手の思い出づくりの場ではない」
というのがその人の考え方らしいのですが、国費を使い視察と称して私的な思い出づくりの観光を繰り返している政治家と同じレベルで選手を批判するのは、ものごとの本質ではないように私は思います。
そもそも負けて人前で悔し涙を流したり、「申し訳ありません」と謝ったりすることが、選手にとって必ずしもプラスになるわけではありません。
応援している側からしてみれば、負けて笑顔を見せる選手には、
「負けて何笑ってんねん」
と言いたくなるでしょうし、また、負けて涙を流している選手に対しては、
「かわいそうに」
と同情したくなるのが、世の常です。
しかし、重要なことは、その選手が負けた後にどのような態度を見せるかということではなく、負けたという結果を自ら引き受ける勇気があるかどうか、ということなのです。
その点から言えば、負けた後に人前で涙を流したり、意気消沈して「すいません」と謝ったりする選手は、大抵の場合、その結果を引き受ける勇気を失っていることが多いのです。
それゆえ、応援した人たちに無意識のうちに許しを請おうとしてしまうのです。
それに対して、負けた後に笑顔を見せることができる選手は、すべての批判を引き受ける勇気を持っているとも言えるのです。
そして、人前ではなく一人で悔し涙を流す選手は、大きく成長することが期待できるのです。
なぜなら、結果を引き受ける勇気を持っていれば、どんな大舞台に臨んでもプレッシャーに打ち勝つことができるからです。
他方、結果を引き受ける勇気を失い、人前で悔し涙を流す選手は、次の大舞台に臨んだときにも、負けるという結果を恐れるがゆえに、前回と同じようにプレッシャーに押しつぶされてしまう可能性が高くなってしまうのです。
日本人が大舞台に弱いと言われるのは、精神的に弱いからではなく、ベストを尽くすことよりも結果を伴うことを要求し、結果が伴わなければ許してくれないという世間の風潮が、選手の勇気を奪っているからです。
そのために、選手は、負けるという結果を自ら引き受ける勇気を失ってしまうのです。
讃えるべきは、結果ではなく、その選手がベストを尽くしたかどうかということではないでしょうか。
何れにしても、選手の皆さんには、
4年間お疲れ様でした。そして、感動をありがとうございました。
と伝えたいものです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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