ご訪問いただき、ありがとうございます。
心理コンサルタントの白瀧です。
さて、先日、と言ってもかなり以前、もう去年のことになるのですが、昼食を摂りながら何気に『笑っていいとも』を見ていたときのことです。
その日は、出演者がそれぞれ、おでんの具の中で好きなものを3つ挙げて話をするというコーナーがありました。
そのとき、出演者の一人である中居正広さんが、
「おでんの具には、それほどの思い入れがない」
というようなことを言われ、話は嫌いな具にまで及びました。
そして、挙句の果てに、
「なんでこんな具を入れるのか」
「そもそも、なんでこんなものが存在するのか」
というようなことまで言われました。
もし彼が、それを、ある種のテレビ的な笑いのネタを提供しようと思って発言したとしたならば、それは大きな勘違いです。
そんなものは、笑いでもユーモアでもありません。
そもそもそのような話は、楽屋ですることであって、果たしてテレビで放送するようなことでしょうか。
彼は、ものごとの背景を見失っているのです。
そのおでんの具にも、大きな背景が存在します。
その具を丹精込めて作っている人たちもいれば、一生懸命販売している人たちもいます。
また、それによって生計を立てている人たちもいます。
その人たちが、彼の発言を聞けば、どれほど悲しい思いや悔しい思い、不愉快な思いをすることでしょう。
そのことが見えていないのです。
どんなものごとにも、背景、つまり文脈があります。
そして、ものごとは、その文脈の中でこそ意味を成します。
もちろん、それは、人の行動も同じです。
しかし、最近、多くの人たちが、近視眼的なものの見方に囚われ、その背景を見ることを忘れています。
否、見ようとしない、と言った方がいいのかもしれません。
そのために、その言動は短絡的で、ときに人を傷つけたり、取り返しのつかないことへと発展してしまっています。
要するに、ものごとの背景を見ないために、自分たちの言動がどのような影響を及ぼすかに考えが及ばないのです。
ものごとは、その文脈の中で見なければ、その本質を知ることは出来ません。
そのことを、忘れないようにしたいものです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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