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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、先日、テレビのとある番組で(確か、TBS系の番組だったと思うのですが)、西川きよしさんの妻であるヘレンさんが、きよしさんの行動が常にせっかち過ぎて困っているというような話をされていました。
例えば、きよしさんの服を買うとします。
きよしさんは、いつも選んだ服を試着したりサイズを確認したりせずにそそくさと買ってしまうために、購入後着ようとするとサイズが合わないことが頻繁にあるのだそうです。
その度にヘレンさんが、わざわざ店まで再び足を運び、サイズ交換をお願いしなければならなくなるので、服を買うだけで、二度手間、三度手間になって困ってしまいます。
「それなら、試着をしてゆっくり服を選んでくれればいいのに」とヘレンさんは思うのです。
あるいは、帝国ホテルの中華料理店でディナーの予約をしていたとします。
そんなときには、ヘレンさんを急き立てるだけ急き立てて、予約の一時間も前にホテルに到着し、カフェで時間潰しをします。
ここでもヘレンさんは、
「わざわざ一時間も時間潰しをする必要があるのなら、もっとゆっくり来ればいいのに」
と思うわけです。
そして、店に入ると、前菜からデザートまでを注文し、すべてを一度に運んできてもらいます。
お蔭で、麺は伸びて汁はなくなり、デザートのアイスクリームは溶けてしまっている。
「もっとゆっくり料理を運んでもらえばいいのに」
とヘレンさんは愚痴をこぼします。
一事が万事そうなのだとか。
確かに、きよしさんの行動は、一見すればせっかちなように見えます。
しかし、よくよく観察してみれば、果たしてせっかちと言えるのかどうか疑問に思えます。
例えば、服を買う場合、もし彼が服を買うという行為に対して本当にせっかちであるならば、恐らく、必ず試着をすることでしょう。
そして、その服を着たまま帰るはずです。何せせっかちなのですから。
購入した服が着れずに何度も交換に行かなければならないのであるならば、それはとても手間の掛かる購入方法であり、非常に悠長な服の買い方です。
とてもせっかちとは言えません。
また、ホテルでの食事にしても、予約の一時間も前に到着して待っていられるのであれば、とてもじゃないですがせっかちとは言い難いのではないでしょうか。
せっかちな人なら一分でも待たされるのは嫌なはずです。
もし本当にせっかちな人であれば、恐らく、予約の時間ぎりぎりまで他の用事を入れていることでしょう。
そして、料理の注文にしても、店に入ってから注文をするというような、そんな悠長なことはしないでしょう。
もし本当にせっかちな人であれば、店に入ったらすぐに食事ができるように、予約を入れた段階で食事の注文をしておくはずです。
増してや、コース料理などとんでもない。メインディッシュの注文だけのはずです。
もし本当にせっかちな人であるならば、次のような行動になることでしょう。
予約の時間ぎりぎりに店に入り、その段階ですぐに食事ができるように料理をすでに並べてくれているように注文している。
そして、店に入るとすぐに食事をし、ものの5分ぐらいで料理を平らげさっさと出て行く。
そうなるのではないでしょうか。
そもそも、本当にせっかちという人が、果たして他人と一緒に行動するでしょうか。
さっさと自分の用事だけを済ませて、さっさと自分だけ次の行動に移ろうとするのではないでしょうか。
要するに、きよしさんの行動は、その本質から見れば、決してせっかちとは言い難いものなのです。
しかし、きよしさんは、常に周囲の人たちを急き立てて行動しているために、周囲の人たちにはその行動がせっかちなように見え、とても迷惑してしまうのです。
つまり、きよしさんの行動は、本質的にせっかちなのではなく、あくまでも周囲の人たちから見てせっかちに見えるような行動をしているのです。
すなわち、彼のせっかちさは周囲へのアピールであって、本質的なものではないということです。
ここに、人の性格に対する私たちの誤謬が潜んでいるのです。
この続きは、次回に書きます。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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