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心理コンサルタントの白瀧です。
昔から、ネガティブシンキングとか、ポジティブシンキングということがよく言われます。
代表的な例が、コップに入った半分の水。
これを、
「まだ半分ある」
とポジティブに考えるか、それとも、
「もう半分しかない」
とネガティブに考えるか、というもの。
そして、現在では、
「もう半分しかない」
というネガティブな捉え方をする人が多いのが現状ではないでしょうか。
自分をネガティブだと思っている人は、それを性格のためだと考えている人が多く、その性格をなんとかポジティブなものに変えたいと奮闘されています。
しかし、どうしてもポジティブな考え方をすることができずに悩んでいらっしゃいます。
では、人がネガティブなのは、本当に性格の問題でしょうか?
いいえ、残念ながら、そうではありません。
その証拠に、同じ両親から生まれたきょうだいでも、ネガティブな子どももいれば、ポジティブな子どももいます。
同じ遺伝子を持っていながら、性格がまったく正反対、というのはおかしな話です。
ネガティブやポジティブというのは、ものごとの捉え方のことです。
同じ出来事でも、それを否定的に捉えるのか、それとも肯定的に捉えるのかという違いです。
それは、言うならば、ものごとの認知の仕方、つまり、ある出来事にどのような意味づけをするかという違いによります。
たとえば、失敗してもそのことをあまり気にせず、いつも明るい人がいます。
そんな人に、なぜいつも明るくしていられるのかと尋ねると、
「ものごとというものはなるようにしかならない。難しく考えてもしょうがない」
などというような答えが返ってくることがあります。
これは一見すれば、前向きな答えのようにも思えますが、よくよく考えてみれば、「自分ではどうにもならない」という非常に後ろ向きなものごとの捉え方です。
要するに、人がネガティブであるか、それともポジティブであるかというその違いは、
「その人がなぜそのような意味づけをする必要があるのか」
ということを考えなければ、その本当の意味するところは見えてこないのです。
なぜ、ネガティブに捉える必要があるのか?
そして、その人は、ものごとをネガティブに捉えることによって、何を実現しようとしているのか?
そのことに気づいたとき、人がネガティブになる意味が大いに理解できるのです。
では、そこにはどのような真実が隠されているのか?
この続きは、次回に書きたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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