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心理コンサルタントのしらたきです。
さて、私たちは、欲しいものが手に入らなかったり、ものごとが自分の思い通りに進まなかったりすると、欲求不満を感じます。
そして、欲求不満とは、自分が欲するようにできないということの結果だと思っています。
しかし、必ずしも欲求不満は、自分が欲するようにできないということの結果ではありません。
もちろん、自分が何かを欲したいと思ったとしても、環境や周囲の状況、あるいはその他の何かによって、自分の目標が妨げられたり、障害を受けたり、抑止されたりするのは事実です。
でも、だからと言って、欲求不満を感じることにはならないのです。
私たちは、抑止されたり、障害があったり、あるいは自分のしたいようにできかなったりするということと、欲求不満を感じるということを大いに混同しています。
欲求不満とは、あくまでも一つの感情であって、状況が作り出しているのではなく、状況に対する私たちの認知が作り出しているものなのです。
もし私たちが何かにイライラさせられているとするならば、それは、自分がそのように感じようと決めたことであって、状況が作り出しているのではありません。
そういう感情を持たなければならないということは決してないのです。
欲求不満やそれに伴う怒りの感情は、私たちの状況に対する見解、つまり私たちが私たち自身に告げることに依存しているのです。
たとえば、ものごとが自分の思い通りに進まなかったとき、
「まあ、こんなこともあるよ。」
と自分に言い、そのことを意に介さずに行動を続けることもできます。
しかし、もし私たちが、状況や他者が自分の欲しているようになるべきであると要求し、
「こんなことは、起こるべきではない」
とか、
「あの人は、ああすべきである」
と自分に言い聞かせるならば、欲求不満や怒りを感じるようになります。
つまり、欲求不満や怒りは、私たちの状況に対する見解、すなわち「こうあるべきである」という見解によって生み出されているのです。
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