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心理コンサルタントのしらたきです。
さて、私たちは、
ものごとをよく知っている人や知識が豊富な人を見ると、
「あの人は頭がいい」
などと思います。
しかし、
ものごとをよく知っていたり、知識が豊富なことは、
確かに、『記憶力がいい』とは言えますが、
それを以てして、
『頭がいい』と言えるかどうかに関しては疑問が残ります。
もちろん、
『記憶力がいい』ことも、優れた能力であることには間違いありません。
ただし、それは、
人間の知を形作る能力の、あくまでも一部に過ぎず、
それを以てして、
人間の知を形作る能力のすべてを推し量ることには、
どうしても無理が生じてしまいます。
これは、計算の能力にも言えることです。
たとえ素晴らしい計算の能力を備えている人であっても、
それを以てして、
すぐに頭がいいとは言い難いところがあります。
なぜなら、計算の能力も
人間の知を形作る能力の一部に過ぎないからです。
ただし、それが、
素晴らしい能力であることは言うまでもありませんが。
それにも関わらず、
日本では、未だに、
この知を形作る一部の能力が、
まるで人間の能力すべてを表しているかのように拡大解釈し、
それらに点数をつけて、人の優劣を決めようとしています。
それが日本の入試制度です。
そして、この多様な価値観を持っているはずの社会において、
未だに学歴という時代遅れの一つの価値観に縛られてしまっています。
それは、未だに、人々の言うところの高学歴の人間を、
エリートと称して崇めているところにも表れています。
たとえば、東京大学。
東大出身者の人たちには、
もちろん、素晴らしい能力を持っている方がたくさんいらっしゃいます。
しかし、
ものごとの将来性を見極めたり、
ものごとのビジョンを構築したり、
あるいは、創造力という点では、
それほど優れた能力を持っているようには、どうも思われません。
それは、
政治家や官僚に東大出身者が多いことからも窺い知れます。
そもそも人間の能力は多様であり、
一部の能力によって、
人間のすべての能力を推し量ることなど不可能なことなのです。
しかしながら、この日本では、
未だに一つの時代遅れの価値観が社会を我が物顔で跋扈し、
人々はそれを崇め崇拝し、
その価値観に縛られています。
そして、そのことが、
この国の閉塞感を生み出している要因の一つである、
と言えるのではないでしょうか。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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