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心理コンサルタントのしらたきです。
さて、
自分が窮地に陥っているときや気分が落ち込んでいるとき、
あるいは、疲れているときなどに、
周囲の人から心配して声を掛けてもらえたりすると、
うれしくて有難く感じます。
しかし、
周囲の人から心配して声を掛けてもらえると、
常にうれしく感じるかと言えば、
必ずしもそうではないのが、
私たち人間の厄介なところです。
大抵の場合、
周囲の人から過度な心配をされると、
わずらわしさや不快さ、反発を感じてしまいます。
特に、親と子や上司と部下の間では、
そのようなことが多いのではないでしょうか。
これは、『心配する』という行為に含まれる、
ある種の特徴が人を不愉快にさせるからです。
その特徴とは、
心配されることによって感じる劣等です。
たとえば、ある人がしている行為に対して、
「大丈夫ですか?できますか?」
と心配して声を掛けるとき、
そこには、
「あなたには、それはできない。あなたには無理です。」
という相手の能力の否定が伴っています。
相手の能力を否定しているがゆえに、
「できますか?」
と心配して声を掛けてしまうのです。
それゆえ、相手の人は、
「大丈夫ですか?できますか?」
と言われるたびに、
「あなたには、それはできない。」
と言われているように感じるのです。
そのために、声を掛けてくれた人に対して、
わずらわしさや不快さ、反発を感じるようになるのです。
他人の行為に対しては、
過度に心配してすぐに声を掛けるのではなく、
辛抱強く見守ることが大切であるのは、このためです。
そして、相手の人が助けを求めてきたときに初めて、
惜しみなく協力することが大切なのです。
また、相手の人に声を掛ける場合でも、
「大丈夫ですか?できますか?」
というような相手の能力を否定するような言葉を掛けるのではなく、
自分がどういうことを心配しているのか、
そのことをはっきりと告げたり、
あるいは、
「何かわからないところはありませんか」
とか、
「何か手伝えることはありませんか?」
など、
あくまでも協力を申し出るような言い方をするのが望ましいのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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