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心理コンサルタントのしらたきです。
さて、私たちは、
信用していた人から裏切られたり、
他人から非難されたり、
不愉快な思いをさせられたりすると、
どうしても相手のことを攻撃したいという衝動に駆られます。
これは、相手の人の言動によって、
自分が劣等な立場に立たされたように感じるからです。
そこで、相手を貶めるような言動を取ることによって、
相手の立場が自分よりも劣っているような状態をつくり出し、
自分を優位な立場に導こうとするものです。
しかし、
相手の悪口を言ったり、相手を非難したりして得られる優越感は、
あくまでも一時的なものであり、
相手のことを思うと、再び自分が劣等な立場にいるように感じ、
決して気が収まることがありません。
そのために、
常に相手を非難するという言動を繰り返す必要が出てくるわけです。
そうして、時間だけがただ虚しく過ぎていきます。
そんなとき、ツァラトゥストラのこんな言葉を思い出します。
「もはや愛することができないときは、しずかに通りすぎることだ。」
もちろん、そのような相手の人に対しても、
愛情を持って接することができるようになれば、
それが最も理想的なことなのでしょう。
しかし、
なかなかそうできないのが、人間です。
それならば、
もはやその人と積極的に関わり合うのを止め、
その人のそばを静かに通り過ぎて、
自分自身を高める努力をする方が、自分にとって有意義なことなのです。
そして、その努力を続けていれば、
いつか必ず、その相手の人を許すこともできるようになるでしょう。
【参考文献】
- ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)/岩波書店
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