正義とは何か? その5 | 人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

仕事、恋愛、結婚、人間関係。人生がうまく行かない。変わりたい。

マジで今の人生を変えたい、人生を成功に導きたい、そう思う人は、アドラー心理学をベースにした『気づきの思考法』を学んでください。
自らが演じている自己欺瞞に気づき、必ず変わることができます。

ご訪問いただき、ありがとうございます。


心理コンサルタントのしらたきです。


さて、昨日の記事で、


正義とは、劣等感の補償の一形態である


ということを書いた。


(昨日の記事の詳細は、→コチラ


この記事に関して、



「ということは社会に正義を求めるのは良くないことなのでしょうか?」



というご質問をいただいた。


もちろん、社会に正義を求めるのは良くないことではない。


昨日の記事にも書いた通り、


社会に正義を求めることは、


他人が自分の権利を侵害する行動に対する


抑止として働いてくれる。


また、自らの権利を侵害された場合、


その回復を求めることは、正当な要求でもある。


私たちは、


劣等感とその補償』という言葉を聞くと、


どうもそこに何か問題があることのように思ってしまう。


しかし、


人間が劣等感を持つことは何も悪いことではなく、


それを補償するための行動を取るのはとても自然なことである。


私たちは、常に、自らの劣等感を補償しようと行動している


問題なのは劣等感そのものではなく


自らの劣等感に対してどのような態度を取っているか


ということであり、


それをどのような方法で補償しようとしているか


ということなのだ。


自分の権利を侵害された場合、


それを正義によって回復しようとすることは、


適切な方法による劣等感の補償だと言える。


ただ、ときに正義は、不適切な方法によっても利用される。


たとえば、『逆恨み』。


正義とは


自己の利益のために


他人の利益を侵害し損害を与えた者に対して


その損害を償わせること、


だと書いたが


これとは違い逆恨みは


自らの行動によって自己の利益に損害を与えたにも関わらず


その損害を他人に償わせようとすること


だと言える。


要するに、責任転嫁である。


この逆恨みという責任転嫁の行為は、


正義の名の下に行われる不当な復讐に他ならない。


正義という言葉の定義が難しいのは、


それが劣等感の補償の一形態であるがゆえに、


適切な方法にも、


また、


不適切な方法にも利用されるからである。


それゆえ、自己評価の低い人たちが、


不適切な方法によって自らの劣等感を補償するために、


正義というものを利用しようとした場合には、


その正義は、ときに歪んだ形になって現れてくることがある。


政治家たちが行っている非難合戦も、


「自らの側に正義がある」と叫んではいるが、


何のことは無い、


自らの劣等感を不適切な方法によって補償しようとして、


正義の名の下に行っている不当な復讐合戦に過ぎない。


最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


心理学教育の必要性と気づきの思考法を広める活動をしています。


↓ご協力のほど、よろしくお願いします。

にほんブログ村

幸せになりたい方は、


幸せになるための気づきの思考法テキスト


「気づきの思考法養成講座ー総論ー」を読んでください


コチラ をクリックしてください。