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心理コンサルタントのしらたきです。
さて、では、なぜ、私たちは正義を求めるのか?
その答えは簡単だ。
それは、相手の行動を抑止するためである。
正義の基本にあるのが、
自分の利益のために、
他人の利益を侵害し損失を与えた者に対して、
その損失を償わせること、
だということを昨日の記事に書いた。
(昨日の記事の詳細は、→コチラ )
この場合、
自分の利益を侵害されるとは、
つまりは自分の権利を侵害されることを意味している。
自分の権利を侵害されれば、
当然のことながら、自分の価値も下がってしまう。
その状態をそのままに放置しておけば、
相手はますます自分の権利を侵害してくるだろうし、
自分の価値は下がったままになり、
そうなれば、自分の人生の価値まで下がってしまう。
そこで、
『やられたらやり返す』、
要するに、
「私の権利を侵害することは許さないぞ」
という態度を示すことによって、
現在の相手の侵害を止めさせ、今後の行動を抑止しようとする。
この反撃を正当化するのが『正義』である。
このことを別な言葉で表現するなら、
自分の価値が下がるとは、
自分が劣等な立場に立たされることを意味し、
この状態を打破するために相手に反撃をくらわすというのは、
劣等な立場を補償することを意味している。
つまり、『正義』とは、
劣等感を補償するための一つの形態だと言える。
たとえば、
政治家や官僚が、
その立場を利用し私腹を肥やしているのを見て強い憤りを感じるのは、
自分たちだけがまともに税金を払って損をしている、
つまり、
自分たちの権利を侵害されたことによる劣等を大いに感じるからである。
そこで、その劣等を補償するために、正義による糾弾を求めるのだ。
このように、私たちが求める『正義』も、
人間の本質である『劣等感の補償』と強く結び付いているのである。
この続きは、次回に書きたいと思います。
【参考文献】
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