ご機嫌いかがでしょうか?
心理コンサルティングオフィス ふくよしです。
人は、誰もが幸せになりたい。成功したいと思っています。
今日は、そのために必要不可欠な”気づきの思考法”について書きたいと思います。
数学は、教わり、勉強しなければわからない。
物理学は、教わり、勉強しなければわからない。
生物学は、教わり、勉強しなければわからない。
化学は、教わり、勉強しなければわらかない。
経済学は、教わり、勉強しないとわからない。
会計学は、教わり、勉強しなければわからない。
・・・・etc
どうして教わる必要があると考えるのだろうか?
では、料理はどうだろうか?
では、歩き方はどうだろうか?
では、話し方はどうだろうか?
では、恋愛の仕方はどうだろうかか?
では、子供の育て方はどうだろうか?
では、人間関係については、どうだろうか?
・・・etc
では、生きるということについては、どうだろうか?
はっきり書こう。
心理学はどうだろうか?
心理学の創始者の一人であるウィリアムジェームズ博士は、
生に直接関係する科学だけが真の科学であるといい、心理学を精神生活の科学と定義した。
古代ギリシャの歴史家であるヘロドトスは、人間の心情はその運命である。と語った。
アルフレッド・アドラー博士は、心理学を人間の生に関する科学として、パーソナリティ理論を構築した。
前者の数学、物理学・・・etcなどは専門的であるから、教わる必要があると考えるのでしょう。
つまり、人間の生に直接関係していないということを直感的に理解しているのです。
その逆に、後者の料理、歩き方・・・etcは、生に直接関係することだから、学ぶ必要がないと直感的に理解しているということです。
だから、たとえば、料理の専門家になるときは、教わり、学び、勉強をしようとするのです。
つまり、料理、歩き方・・・etcは、より良くというものを欲したとき、教わり、勉強しようとするのです。
しかし、それでもなお、自分のやり方にこだわるものです。
前者の数学、物理学・・・etcと違い、
人間の”生きる”ということ。それにもっと関係する学問の心理学は、
そもそも教わるものでも、勉強するものでもない部類に入ると考えるのは、そのためです。
だから、心理学は、人間の精神が病んで、生活が困難になっている人が、
ごく一般的な普通の人になるために必要なものであるという意味で、専門と理解しているようです。
だから、そのような方は、心理学を教わり、勉強しようとするのですが、
自分は、普通だと思っている人は、私には関係がない。と思うようです。
しかし、人間の生に関することを教わり、学ばすに、自分のやり方にこだわる
ことはある意味危険なのです。
一般的に、心理学を教わり、勉強しようとしない人が多い理由について
社会心理学者のロバート・B・チャルディーニ博士は、
”心理学の原理は、自分は人生経験や人との付き合いを通してすでに直感的に理解していると思い込んでる人が多いためだ”と述べています。
そのために、”多くの人間は、絶好のチャンスを逃したり、誤まったやり方により自分の周囲に害を与えてしまう”と述べています。
アルフレッド・アドラー博士は、
『人々の人間知がどれほどのものであるものかを調べてみるならば、たいていの場合それが役に立たないものであることが分かるであろう。
われわれはみなたいした人間知を持ち合わせてはいないのである。』 と述べています。
まずは、私たち人間は、心理学を学ぶ意味を理解することが必要なのです。
もし、あなたが、心理学を学ばすに生き、自分のやり方で、
たとえ一瞬でも成功したと感じた時期もあったとしても
人生の終盤、この真の意味に気づいたとき、
あなたは、人生にどんな意味づけをするのでしょうか?
気づかずに、生きた人生を想像してみてください。
想像できた方は→コチラ
想像できなかった方は→コチラ
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
心理学教育の必要性と気づきの思考法を広める活動をしています。
よろしくお願いします。
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