ご機嫌いかがでしょうか?
主体的に生きることを自らを主語として生きることと同じ意味だと思っているようです。
意思というものです。
しかし、これは正確ではありません。
主語にする目的に、気づいていないのです。
なぜ?そうしたいのですか?
なぜ?そうしなければならないのですか?
に気づく必要があるのです。
いわゆる一般的に信じられている主体性の幻想から抜け出したときに、人間の価値の意味が理解できるのです。
それに、気づけば、褒めるということの適切な使い方がわかるのです。
心理学者のアドラーは、これを勇気づけと呼び、褒めると区別しています。