自分の良いところを自分では気づかず、他人から、あなたは、○○○のところが素晴らしいと言われて、驚いたり、あるいは、『そんなものは何の役にも立ちませんから』と思ったりすることがあります。
人間は、猿から進化したという説があります。
猿から人間を見れば、欠点だらけです。
なぜなら猿ではないからです。
人間なんかには、なりたくないでしょう。
木登りができない情けない動物なのです。
猿の出来そこないなのです。
もし、猿から、『あなたは、2本足で立って、上手く歩けるからいいですね。手も自由に使える。』と言われたとしても
『私は、出来そこないですから、あなたのように、木登りをして、上手く木の実を採れない。
木から木へ上手く移動もできない。
2本足で歩けることに、何の意味があるのですか?』
『何の役にも立ちません。』と嘆くかもしれません。
もし、全ての人間が、猿の出来そこないだと嘆いてばかりいたら、人類の発展はなかったでしょう。
持っているものを使い、使いこなした人間が、人類の発展に貢献したのです。
”これが、持っているものを使うという意味なのです。”
生物を観察すると生物の正しい成長は、欠点を”補償”という方向に動いていることに気づかされます。
上手く木登りができなかったから、2本足で歩くことが上手くなったのです。
学習と訓練をしたのです。
大樹に囲まれて、太陽の光が当たらない場所にいる植物は、大樹と同じように、太陽に向かって上に大きく成長することはしません。
例えば、コケのように、大樹とは、競争しない方向で、成長する姿がみられます。
横へ低く湿った大地に広がるのです。
つまり、私たち人間も欠点を”補償”するという方向に学習と訓練をして、成長しているのですが、
人間には、自意識があるために、誤った方向に進むことが多いのです。これが信念なのです。
つまり、欠点を自らから、隠す方向で、自己防衛し、補償しようと、自己欺瞞をする。
いわゆる自分に嘘をつくから、気づきにくくなるのです。
自己欺瞞は、強さではなく、”強がり”という態度となるのです。
そして、これが、自分の弱みをわかっている人が、本当に強いという意味なのです。
もし、コケが大樹に憧れ、嫉妬して、生きているとコケである事自体止めてしまうかもしれません。
自ら行動できる動物は、意識を持ち、自らの行動をコントロールできる人間は”意識していることを意識できるのです”
自覚し、意識的にできるという意味です。
つまり、気が弱いからダメだと思っている人は、強くなることで補償すると、強がりとなり、上手くいかないことがあります。
むしろ、気が弱いがゆえに、人間関係で、学習し訓練した”心遣いと優しさ”を誰よりも発達させ、”あなたの強み”となっているかもしれないことに、気づくことが大切なのです。