幸せ-人生に気づきを与える心理学講座- | 人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

仕事、恋愛、結婚、人間関係。人生がうまく行かない。変わりたい。

今の人生を変えたい、人生を成功に導きたい、そう思う人は、アドラー心理学をベースにした『気づきの思考法』を学んでください。
自らが演じている自己欺瞞に気づき、必ず変わることができます。

私は、ブログに”心理学”のことを書いています。


”心理学”の学習と訓練で、人生を変えることが、自分(の力)で、できます。



変わるという意味は


人生を山登りで例えるとわかりやすいかもしれません。


あなたは、誰も通ったことがない山道をいくでしょうか?


誰かがすでに通った山道を行くでしょうか?


それとも、山のふもとで、迷い続けるでしょうか?


それとも、行き当たりばったりで、前に進むでしょうか?


つまり、人生には、その目的と方向に進む時に、選択と決断(思考)が伴い、その連続(行動+感情)なのです。



変わるとは、その道を、今までのやり方だけで対応するのではなく、プラス”道しるべ”を使うことができるようになるということです。



道しるべを持っていると、”失敗”という言葉はなくなるでしょう。※後で解説します。



例えば、”幸せ”についても、


”幸せ”とは抽象的で、人それぞれであり、個人的なものだと思っているようですが、心理学的に思考すれば、具体的な”道しるべ”が得られます。



それは、社会的、心理的、生物的に、満たされていると感じているのか?です。


これが、幸せ(に感じる感情)の正体です。


つまり、情動なのです。



それぞれ個人が信じているルールと目標が、その人の人生の意味であるため”幸せ”というものを個人的なものだと思ってしまうのです。これは、適用の問題なのです。


例えば、

日が当たらない、湿った、場所で生息する植物は、全身から水分を取り入れるように、(環境に)適応しています。


日が当たる、比較的乾燥している場所に生息する植物は、地中深くまで根をはり、根っこから水分を取りいえるように、(環境に)適応しています。


それが、その植物の生き方(適応)なのです。だから、それ自体に意味があり、他者からの意味は意味がないのです。



人間の環境とは、社会的に、心理的に、生物的なもであり、その人独自の意味づけや信念が、独自の適用となります。


これが、所謂、その人の生き方です。



しかし、その独自の適用が、社会のステージで、人生をつうじて、非建設的であり、不便であり、無益であれば、


これを”不適切というものになります。


※良いと悪いとか、ダメとかいうものではありませんので、注意してください。


しかし、植物と違い、人間には意識があるため環境(社会的、心理的、生物的に)、適用を変えることが自ら選択ができます。


つまり、これが、その人と外界との関係は、その人独自の意味づけであり、信念であるという証拠なのです。

この独自の意味づけ、信念のまま、生きることは、視点が、思考が、固定してしまい、他の選択肢が思い浮かばなくなるということを意味します。


つまり、人生にアイデアがなく、バリエーションが少なくなるのです。


だから、人生の目標が常に、「私は○○○でなければならない」となるのです。


この「○○○でなければならない」をという目標を、達成することはできません。

それは、評価だからです。

先ほどの、植物で例えれば、それ自体に意味はなく、他者からの意味に、意味あることになるわけです。


つまり、湿地帯に生息するコケ類は、日の当たる樹木から見て、意味があるのか?ないのか?ということです。


これが、”私はダメだ。。。”の正体なのです。



この高すぎる目標は、いつまでも達成しないので、悩み、迷うことに絶えられなくなります。


心理的防衛が働きます。

その目標を自分自身から抑圧し、隠すのです。


高すぎる目標を他者にアピールすることに目標がすり替わり、(それは、同情であったり、傲慢であったり、)で消化しようとする心理的防衛が働くのです。


懲りずに(笑



人生が、心理的防衛するためだけのものになりかねないのです。(これが、言い訳だったりします)


つまり、そういう状態の人は、失敗は永遠に避けるべきもので、やり直せるものではないのです。



人生が常に、「私は○○○でなければならない」


つまり、私は、常に「幸せでなければならない」という不幸を体験することになるのです。


幸せであることが当たり前だと信じてることで、不幸を感じるのです。


そもそも、”幸せ”という状態は努力が必要なのです。

努力がいるから幸せな状態の時に、心からうれしいのです。心から感謝できるのです。


努力がいることがわかれば、人間は、意識を使って、幸せにすることもできるのです。



家族みんなが、楽しい!って思えた瞬間、幸せだと思うでしょう。


友人と一緒に笑い、上司と一緒に、仕事が上手くいき、喜びあい、お客さんから”ありがとう”といわれ


うれしく感じた、その瞬間、言葉ではなく、ただ、ただ”幸せだ”と一瞬強く感じるでしょう。(情動)



人間は、社会と健全で適切に分かち合えた時、”幸せ”という感情がわくのです


これが、社会的に満足した状態なのです。


人生が常に、「私は○○○でなければならない」という当たり前が、不快なことに、過剰に反応してしまう理由であることに気づくことが大切なのです。