本質に気づく力 | 人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

仕事、恋愛、結婚、人間関係。人生がうまく行かない。変わりたい。

今の人生を変えたい、人生を成功に導きたい、そう思う人は、アドラー心理学をベースにした『気づきの思考法』を学んでください。
自らが演じている自己欺瞞に気づき、必ず変わることができます。

ある人が、”今の世の中、正直者は損をする。”と言ったとしましょう。それを聞いて、どう思うだろうか?


”なるほどそうだ。”と思い、その話を信じる前に、ちょっといろいろな事を推測をしてみると気づくことがある。


例えば、こういうことを言う人は、そもそも正直者ではないことがわかったりするのである。
(正直であることに価値を持っていないことがわかる)


なぜなら、正直ものであれば、少なくとも”正直であること”が、この人の価値だと考えているのだから、正直であることが、この人にとって、すでに価値があるということになるのです。


だから、正直者なら、そういうことを言わないだろうと推測できる。
※分かりやすいように価値という言葉で統一します。


では、どんな人が、そんな事を言うのだろうか?

それは、例えば、自分の(金銭的?、精神的?)損得を価値と考えいる人かもしれない。と推測もできるだろう。


そうするとこの話は、この人は、正直というやり方をしたが、損をした。あるいは、得をしたことがないという考えがある。という話になる。それとも、もっといろいろなことを推測はできる。少なくとも自分の価値を高める発言であることには違いなさそうである。


その人の言うことを鵜呑みにして、なるほどと思い、信じてしまうと。正直者は損だということだけになりかねないのです。

しかし、その人が、そのような価値観を持ったのは、なぜか?と考えると、また違ったアプローチとなり、その結果も変わるのです。

※精神的とは、尊敬されたとか、褒められたとか。等があり、気分が良くなった等の正の感情のこと。
※良い、悪い、正しい、間違っているという話ではありません。


この間、私は、ある集まりで、なぜ、あなたは金持ちになりたいのですか?自由になりたいのですか?

そのような考えは、いつ持ったのですか?誰から教わったのですか?と質問したことがあります。


当たり前だと思っているようで、誰も答えれなかったのです。


今、日本は平和である。にもかかわらず、人は、さらに、欲望(本能)はエスカレートし、お金持ちになり、自由に、好きなことをして、楽しく生きること。

それが人間の本来の生き方であり、いいことだという価値観に支配されてしまっているようにもみえる。


どうやら、アメリカからハンバーガーや野球などの食やスポーツだけでなく、生き方まで、輸入してしまっていたようである。今では、日本人の多くが、自由と財産を価値とする本能のままに生きることが、いいことだという価値観を疑いもせず、当たり前のように思っているように、私は思う。


学校もそうである。何のために勉強しているのか?教育の意味と価値観が崩壊してしまっているように見える。

しかし、これは価値とは言わないのではないだろうか?。ただの本能のおもむくままではないのだろうか?

価値とは、人が本能を超える(本能を少し我慢して)何かを持つことではないのだろうか?

愛のために自由を少し我慢している人もいる(家族の生活を支えるために、自分の人生の時間を少し犠牲にして働いているサラリーマンもその一人だと思う。)

※参考ブログ記事:植樹に学ぶ学校、会社、そして社会


※この価値観が、良い、悪い、正しい、間違っているという話しではありません。当たり前だと思う前に、時には、少し立ち止まって自分自身を観察してみることも必要だと思うのです。何が大切なのか?自分自身の価値観を問うことも必要だと思うのです。


そのためには何が必要なのだろうか?


昔、私は、ある投資家(事業家から投資家になった)から2年間ほど、仕事を通じて、お金について教わった経験があります。この貴重な経験は、私の財産となった。


私は工学部出身のエンジニアであったためだろうか。


最初そのような知識も仕事も、私には関係がないと思っていたし、最初は、面白いとも思わなかった。


しかし、もし、お金持ちになりたいと思うなら、私が教わった知識は、当たり前のことであり、必要なのである。


もし、その知識を学ぼうともしないのなら、それは、日本で居心地良く、便利な生活をしたいと思っている人が、日本語を一切学ぶことなく、それを実現しようとしていることに似ているように思っています。


まるで、羅針盤を持たずに長い航海に出るようなものである。


つまり、何が本質なのか、気づいていないのである。だから、本質から外れたことばかり繰り返ししてしまうことになるのです。

人は、当たり前だと思った瞬間に、すでに落とし穴に落ち身動きがとれなくなっていることに気づかないのである。


心理学では、注意を向けることは心に入ってくるものを選択する1つの方法であるが、多くの要素が注意に干渉することがわかってきている。

例えば、刺激の類似性、課題の困難さ、能力や練習不足、苦痛や心配、没頭や放心、感覚の慣れ等々

人の知覚システムは、十分な感覚の変化がなければ、それに慣れてしまい、注意が散漫になり、変化に順応してしまい、気づかなくなるのです。

だから、人は、熱湯のお風呂に入る場合は、その熱さに気づき、飛び出すが、徐々に温度が変化するお風呂では、逃げ遅れてしまうのです。


そのためには、人の知覚は、不完全でること。人の思考は、論理的でないことを常に意識し、物事の本質を限りなく見るように注意を向け、意識する必要がありそうです。