友人に、悩み事などや愚痴などを聴いて欲しいと相談をされた場合、この場合は、大概、楽しい話ではないことが多いので、普通に聴いてあげたり会話をするよりは、ちょっとカウンセリングのテクニックを使って、会話をすると、
相談者である友人が、その悩み事や愚痴から、新しい発見などがあり、元気になったって、喜ばれるケースがあります。
プチカウンセリングというのでしょうか。
その方法を紹介したいと思います。※当然、テクニックだけが大事なわけではありません。
その方法とは、”共感”です。
相談などをされた場合、よく同情をする人がいます。
同情することが、悪いわけではありませんが、これを共感という方法を使って、会話をすると、もう少し幅ができ、ただ、話を聴いて欲しいという友人も違った展開になったりします。
共感は、同情と混同してしまう方もいるようですが、同情と共感は違います。
同情については、子供の頃に、私の母親からこんな話を聴かされたことを覚えています。
私の母は、人によく同情するタイプだったので、それに関る失敗も多々あったのですが、私の母が、まだ子供の頃に、ある人を見て、”可哀そうに。。”って言ったそうです。
すると私の母は、自分の母親(私の祖母になります)から”人に同情するものではない、失礼や。何様や”とよく言われたそうです。
その理由もあって、私も子供の頃から、むやみやたらに同情することは、あまり良いことではないと思っています。※同情することが悪いわけではありません。
同情と共感の違いは、人間関係の立場から見ると同情とは、上から下になります。
同情する人が上で、同情される人は下という人間関係になります。
しかし、共感とは、同情と違い、横の人間関係となります。
かなり乱暴に簡略して言うと同情をするとは、自分の立場を変えずに、相手と同じ気持になるだけのことを意味します。
共感とは、相手の立場になって(見聞きし、心で感じること)です。わかりやすいように少しドライな言い方をすればだから、相手と同じような気持にならなければいけないわけではないのです。
相手と同じ立場で、見る、聞く、感じる。ことで、その人が、その状況で、どう感じているのかを感じることにあります。
例えば、
”友人が、会社で、会社のためだと思って、一生懸命考えて、仕事をしたのに、自分のことだけをすればいいんだ!余計なことをしないでくれ。と怒られて、とても悲しかった。”
このような話を聴いた時に、そうか、その上司は、なんて人だ!。一生懸命にやったのに、そんなこと言われたら落ち込むよな。可哀そうやな。。。とかは同情となります。
共感をするとは、この人は、このような状況下では、悲しくなるんだ。と感じることであり、なぜ、悲しく感じたのだろうか?何を悲しく感じたのだろうか?私ならどう感じるんだろうか?
例えば、悲しいといっても
一生懸命したのに、褒められなかったから悲しかったのか?
会社のためにならなかったので、悲しかったのか?
余計なことだと思われたのが、悲しかったのか?
上司から怒られたことが、悲しかったのか?等々あなたの立場で、同情をして聴いてはわからないのです。
会社のためになっていなかったのなら、どういう点がなっていなかったのか?どうしていれば、会社のためになっていたのか?
ひょっとすると会社のためにしたのではなく、自分のためにしていたから、怒られたことが、悲しかったことに気づくかもしれません。
いずれにしろ、共感して、会話をすると、突然、”そうか、わかったわ。わかった。そうやな。
そういうことか。そうか。ありがとう。なんか気がついたわ。
ありがとう。なんか元気になったわ”。と相談者である友人が言う場合があります。
落ち込むことも、失敗することも、ダメでも、悪くもありません。
その次が、大事なのですから。