校長先生のつぶやき | フィジカル運動教室 http://www.aso-spo.net/

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愛知県岡崎市で活動しています、子供たちが遊びスポーツを通し楽しみながら、心と身体の根っ子を育むための教室です

満月の夕べ

知っていますか?

阪神淡路大震災の時に作られた歌だそうです


それから16年後

私は岩手県花巻市にいました

親しくさせて頂いている岩手県の先生のお招きで

神奈川、奈良の先生と共に4人で花巻温泉を訪れ

とても楽しい一時を過ごした

その一ヶ月後でした


東日本大震災が起こりました


地震発生時

私は地震があったことにすら気づかず

仕事に追われる中
夜になって

はじめて私たちが訪れた岩手県も含め

東日本に大変な被害を齎していることを
知りました

なのに

その事態を知りながらも

私の心の中に現実のものとして伝わることはありませんでした

翌日

午前中の空いた時間

久しぶりにヨガのレッスンを受けにフィットネスクラブに行った時の事

インストラクターの先生が

レッスンの最中
災害の話題に触れた瞬間でした

急に

本当に突然
とめどもなく涙が溢れ出し

とてもレッスンを受けられる状態では
なくなってしまい

タオルで顔を覆いながら

ロビーのマッサージチェアで横になりながら

どうしよう

自分には何が出来るのか

自分には何が出来るのか

自分には何が出来るのか


その時の私は
そればかりを考えていました

そして

その当時から現在まで

お世話になっている災害復興に携わる
NPO法人の理事の先生に電話をし

こう伝えたのです

今すぐ岩手県に行きたい

被災地で自分が出来る何かをしたい

その為なら空手を辞めてもいいと

その時に言われた先生の言葉は

今もこれからも

ずっと一生忘れません

この先

私たちが管理する施設は

多くの被災地からたくさんの被災難民を受け入れることになる

そこには

被災で家族を亡くし

一人ぼっちになった子どもたちを優先的に受け入れたい

その時
ここに来た子供たちを

空手を通して元気にしてほしい

その為にも伊藤さんは空手を続けてほしい

そう言われたのです


それから数ヶ月後

復興支援団の一員として陸前高田市を訪れました

そこには

災害の現実がありました


有りのままの現実が

満月の夕べの中にこのような歌詞があります

「言葉にいったい何の意味がある 
    乾く冬の夕」

そして歌は

このような歌詞で締め括られていました

「解き放て 生命で笑え満月の夕」

「 解き放て 生命で笑え満月の夕」


たしかに

被災地を訪れた時は自分自身の無力さに

この世の中の非情理に打ちひしがれていました

物資も送りました

募金も募りました

でも
その時の私の気持ちの中には

何をしても届かない現実があるんだとつぶやくもう一人の自分もいたのです


そんな葛藤の中

災害から半年経った頃でした

岩手の先生から

子供たちが空手をやりたいと言っている
空手に関わるものであれば

道着でも帯でも防具でもなんでもいいから送ってほしい

そう連絡があったのです

私は想いました

被災地は生活の復興から心の復興へと進んでいるのだと


当時の道場の会報に載せた文面です

決して何も出来ないなどと考えてはいけない

自分には何が出来るのかを常に考え

その時の為に準備をしましょうと



今その時の事を思い出しながら心の言葉を綴っています

もう時計は午前1時を過ぎました

明日は大会審判として

選手として出場するうちの子供たちと共に頑張ります

確かにある時

言葉は無力かもしれません

でも

言葉って素晴らしい

だって

私はその歌詞を聞きながら

こんなにも

多くのことを思い返し

明日に向かい進めるのだから


おやすみなさい



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