市内の桜も散り、見ごろは隣町へと移っていきました、、
桜の散り際においては、わびしさや趣深さ、様々な味わいを感じられるものですが、、
けれども、真実もまた同時に見ていかなければなりません、、
花は咲き散る、やがて、新緑や実りをもたらし、それらもまた無常のままにいずれは枯れ落ち、絶え間なく循環する、、
生命というのは、とどまることはありません、、これがいわゆる無常の姿であり、真実です、、
自我は何かにすがり、どこかにとどまることによって安心や安住を求めようとしますが、
まさに、それこそがトラップで、安心や安住を求めようとする心そのものが、
恐れや不安を生み出している根本原因であるということをしかと見るべきなのです、、
では、真の安心や安住、、いわゆる大安心を見出すにはどうすればよいか、、
逆説的なことに、それはまさに、安心や安住を求めようとはしないことによって見い出されます、、
安心や安住を求めず、決してそれらにすがろうとはしない意識の中に、
絶えず変わり続ける今ここを受け入れ、ダイレクトに目の前を生きようとする意識こそ、大安心そのものなのです、、
時に私は、この意識の在り様を、禅意識とも呼んだりしています、、
※花粉症も時期落ち着きそうです、今年も畑の季節がやってきます、、