ここに在る至福の力と共に | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

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悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

当然ながら、「幸せ」 の対極は 「不幸せ」、あるいは、「非幸せ」 です、、

 

 

私たちの観念の性質上、、「幸せ」 を求めると、同時に 「不幸せ」、「非幸せ」 が生まれます、、

 

というのも、「幸せ」であると思い込んでいる状況や出来事などを思い描き、それらを手に入れようとするエネルギーが高まると、

 

私たちの観念の中で無意識に起こるのは、そうではない状況や出来事は 「幸せ」 に値しない、さすがに 「不幸せ」 とまでは言わないにしても、「非幸せ」 であるとの無意識の思い込み、二元対立構造が出来上がるのです、、

 

 

もちろん、そうした、二元的な 「幸せ」 を追い求めることが必ずしも悪いことであると言うわけではありませんが、そうした 「幸せ」 の背後には、表裏一体として常に「不幸せ」、「非幸せ」 が存在しているということを忘れないでいて下さい、、

 

 

完璧な、あるいは、完全な 「幸せ」 に固執すればするほど、「不幸せ」 や 「非幸せ」 の観念を強めることになり、「幸せ」 以前にある「本当の幸せ (至福)」 を見落とし続ける結果にもなってしまうのです、、

 

 

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「至福」 には、対極は存在しません、、なぜなら、「至福」 はそれで完結しているからであって、状況の上下、優劣、浮き沈み、幸不幸とは何ら関係なく、いつも絶えずここにあり、どんなときも私たちは本当はそれだからです、、

 

 

日常生活での不穏な様相、言い知れぬ不安、できればそこから逃れたいとひしひしと感じる出来事の最中、、そうした状況においても私たちには、「至福」の力が内在しています、、

 

 

不安や恐怖に圧倒され自我が収縮して動けなくっているときは状況の深刻さに飲み込まれている自分に気づき、呼吸を落ち着けて、常に在る 「至福」 の力を思い出してみて下さい、、というよりは、その力に寄り添ってみると言った方が正しいかもしれませんが、、

 

 

目を瞑って静かにその力、光が自らの内で消えることのない灯としてあることに気づけたときは、、その灯と共にあり、本当の自分はその灯そのもの、光そのもの、力そのもの、、至福そのものであるということを思い出してください、、

 

 

 

 

そう言えば、先日、とあるテレビ番組をたまたま見ていた際、、キョロキョロ

 

きれいな富士山の夜景を写真に収めたいとする人がいて、雨の日や曇りの日は 「負け」であると言っていた場面があって、、確かに、「きれいな写真を撮りたいという都合や幸せ」からすれば、雨の日や曇りの日は、「都合に適わない不幸せ・非幸せ」 なのだなと思いつつ、、

 

 

それでも、そこに在る富士の山は、晴れの日も、雨の日も、曇りの日も絶えず 「状況」 に左右されることなく泰然としてそこにあるのだなと思ったとき、、富士の山を、かつて 「不二の山」 と呼んでいたのは偶然ではないのかもしれないと思ったものです、、私たちに、都合不都合、幸不幸といった二元性に左右されることなく、非二元的な本来の姿を教えてくれるために、、分離の幻想を超えさせるために、、富士山

 

 

 

晴れて良し 曇りても良し 富士の山

 

もとの姿は 変わらざりけり (山岡鉄舟)

 

 

晴れても、曇っても、本当のあなたは、力そのもの、至福そのもの、、(ハリー超訳秘密

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!流れ星