毎度アマゾンプライムにて、我が愛するミュージシャン、hideさんのアニバーサリームービーが先般配信されました、、
私が中学生のときに他界され、その後の私の人生においてもメロディーは鳴り続いておりました、、
そんなhideさんのとある曲を久々に聞いていたところ、職業病よろしく悟りアンテナがまさかの反応、、
どんな不幸をにでも、Say hello、、、Dear my hurts (親愛なる私の傷よ)
ってこれって、禅じゃね??
実のところ、かの、白隠禅師が遺した書にこういうものがあります、、
南無地獄大菩薩
一般的な仏教徒であれば、南無阿弥陀仏やら、南無釈迦牟尼仏やらと言いながら、、阿弥陀様やお釈迦様といった崇高な存在に帰依をすることで自らもそのご利益に預かろうとするものですが、、
臨在禅の革命児として現れた、白隠禅師は、、まさかの、、いざ、地獄の仏に帰依しようZEN!!というものでした、、
このポインターを遺した本人を思うとき、その奇抜さや先鋭的な様相は十分にうかがい知れるものですが、、実際にこのポインターの先に白隠禅師が何を指し示していたかを見ようというのが正しい求道の在り様です、、
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禅師は何を後世の私たちに遺したかったのか、、禅師の声に耳を傾けてみたいと思います、、
・・・・( ̄ー ̄)ノ
やい君、、自分にとって都合の良い事ばかりが起きるわけではない相対の世界において、
「起きた出来事」 から離れて、「都合の良い出来事」 を望む様相は、、
「今ここ」 に居ながらに、「ここにはない天国」 を望む様相と何ら変わりはしないのだよ
ある意味では、、雨風、吹雪吹き荒れる天候の最中に、安穏とした晴れの日に思いを馳せ、できることなら経験したくないと嘆き、「そうではない様相」 ばかりに意識が向けられていたのでは、、
その瞬間の天候、、目前に現れている今日この日、、それ以外にはありはしない、「今ここ」 を真に生きることはできやしないのだよ
ならばどうするのか、、どんな天候の時でも 、「都合」 「不都合」 に関わらず、
「今日この日を生きる」、「今ここを生きる」 、何が現れたにせよ 「ダイレクトに出会う」 ということ、、
「今ここ」 への帰依に徹するとき、「都合」 「不都合」 の二元的なエネルギーの対立は自然と調和され、そこにあるのは全くニュートラルな、「今ここ」 であることに気づけるはず
不都合や悪天候、不幸や地獄とされる出来事の中にあった、、「そうであってはいけない」 という非受容的なエネルギーの消散と共に、、不思議な転換がその場で起きることもあるのだよ
だから君、地獄の仏にだって帰依してごらんなさい、、( ̄ー ̄)b
思いがけず、、各々その時代のパラダイムシフトをやってのけた二人、、白隠禅師とhideさんが、ここぞとばかりにリンクした今ここの、冬の入り口より、、
※というわけで、外は雪が降っています!
今月もたくさん読んで下さり、ありがとうございます!