心の弱さって? | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

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悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

 

さて、一般的に、(心が) 弱いとか、強いとかいう表現をする人がいますが、、

 

 

「心」 というものが実際に存在しているわけではありません、、

 

実際、世の中で見られる、「心」 の病とされるもののすべては、実は私たちの生命維持の機能である、自我性 (恐れ) の肥大化によるものなのです、、秘密

 

 

 

ですから、「心」 を強くしようとか、弱い心をどうにかしようという前に、、

 

 

正しい、「心」 との向き合い方は、、場面場面において、「恐れ」 がどのように起きているかをしかと観ることであると言えるでしょう、、OK

 

 

「弱い自分」、「弱い心」 と一般的に言われる様相が起きているとき、自我がどのように 「自分」 を維持し、守ろうとしているか、あるいは、様々な言い訳を思考でこしらえつつ、どのように 「自分」 を優先させようとしているかといった、いわゆる、「恐れ」 の動きをしかと観るということが大切です、、目

 

 

 

「恐れ」 を観ることができたなら、私たちは、「恐れ」 自体、「弱さ」 自体と同化していた 「個人の様相」 を徐々に手放し始めます、、私たちとは、「恐れ」、あるいは、「弱さ」 ではなく、それをその瞬間観ているもの (アウェアネス・観照意識) なのです、、

 

 

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その認識が起きているとき、「恐れ」 や 「弱さ」 の反応にそれまでのように従う必要はないということ、その反応に意識を捧げてばかりいなくてもいいのだという、ある意味で、自我 (恐れ) からの目覚めが少しずつにしろ起きることでしょう、、

 

 

もちろん、そうした目覚めや手放しを無理にでも起こさせようとする必要はありませんが、、

 

「禅」 という体系がするのは、「どんな物事にも出会う」 という徹底した態度であるために、そうした解放を半ば強制的に意識に働きかけるという工夫は、シンプルにして効果的なアプローチであるとも思うわけなのです、、ダルマ

 

 

 

 

ってこの季節、、コタツに執着する自我を手放せるかいなかは、なかなかの修行になりますねん、、笑い泣き

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!お願い