晴れてよし曇りてもよし | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

 

当然ながら、この世界には、晴れの日もあれば、雨の日もあり、

 

不意に突風が吹くこともあれば、嵐の中で身の危険を感じる日も現れることでしょう、、雷

 

 

 

個人的な都合を優先し、「恐れ」 が駆り立てられる出来事を避けていたいとする私たちの自我からすれば、おばけくん

 

当然ながら、雨の日よりも晴れの日が良く、突風や嵐などが起きないように望むことが常であり、

 

仮に起こったとしてもすぐさまそれらが過ぎ去ってくれること、あるいは、そうしたことの影響の少ないどこかへ離れていたいなどとするような反応が日々無意識的な反射レベルで起こっているものです、、秘密

 

 

 

けれども、ここでしっかりと認識しておかなければならない事実は、、

 

様々に移り変わる 「天候」 が当然ながらあるという前提において、、個人的な都合ばかりが満たされるような 「天候」 ばかりが思い (都合) に則した形で現れ続けるということは実際はなく、、

 

 

「天候」 はそのときのあるがままの流れの中で起きているということで、然るに、そこに個人の都合を要求してしまう感覚が強まれば強まるほど、、プンプン

 

映し出される 「天候」 に抵抗しながらそれを作り変え、それと格闘するといった二元的な不調和の傾向が増すばかりだというまさにその点です、、手

 

 

-------------------------------------------------------------------------------------

 

 

起きている 「天候」 と闘ってそれらを思い (都合) 通りに作り変えようと躍起になる代わりに、、

 

 

どんな 「天候」 が現れた場合でもそれと共に在り、それの中に在って、

 

雨の日には素直に傘を差しながらそれでも歩みを止めない姿のように、ただその瞬間の天候 (出来事) を 「今ここ」 の出会いとして経験できるかどうか試してみると良いでしょう、、OK

 

 

例えるなら、面倒さが現れればその面倒を経験し、不快さの中にあるときにはその感覚を払いのけようとするのではなく、その様子に寄り添いそこから離れないで居てみるということです、、お願い

 

 

 

実際この、禅が伝える 「一期一会」 のアプローチが、抵抗から受容への転換を起こし得るキーとなり、

 

その場において、二元的なエネルギーの中で生み出されていた様々な軋轢や不調和といった様相が次第に調整され、場全体が一つのエネルギーの中に溶け出し、虹

 

 

調和的に循環し流れ出すといった、ある種の変容、、あるいは、時に、奇跡とも言える扉を開くことにもなるのです、、ドア

 

 

 

 

 

どんな 「天候」 にも出会い続ける力、、それと一つになる力こそ、、禅スピリットなのです、、富士山

 

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!完了