迷ったとき、焦りだったり、後悔、どうしようもないやきもきした感覚の中に居るようなとき、、
そうした様相において、体感的な不快さに (精巧なまでに) 抵抗しようとする自我的反応は、
すぐさま私たちに、今居る場所よりも、それらが改善されていたり、解消されていたりするであろう 「どこか」 の存在を私たちの意識に映し出し、まやかし、魅了しようと働き出します、、
「今ここ」 に居るよりも、「どこか」 の方がきっと安全で安心できる回答や何かを自分に与えてくれるに違いないと信じて疑わないためです、、
こうした一連の反応はすべて、体感的な 「不快さ」 に無意識的 (反射的) に反応しようとする防衛性による産物であると言えるでしょう、、
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もちろん、こうした反応自体が 「悪い」 というわけではないまでも、「どこか」 が存在し得ない、「今ここ」 の世界において、機能不全の様相を呈すると言うことはできるものです、、
即ち、、「今ここ」 よりも、「どこか」 に求めるべき何かがあるという観念自体が実は、誤解以外の何物でもないというわけです、、繰り返しになりますが、「どこか」 はどこにも存在しないからです、、
というわけで、事あるごとに、自分が 「今ここ」 から離れようとしたり、「どこか」 を優先しようとしている様相に気づいた場合には、、
「どこか」 を手放して、もう一度、今居る場所、一度としてそこを離れたことがなかったその場の足元へと意識を戻せるかどうか試してみると良いでしょう、、
足元に還るとき、、私たちの観念的な思い込みである、「どこか」 は溶解し、それ以外存在しない 「今ここ」 との ”正しい” 同調が起き始めます、、
帰還、即ち、目覚めであり、、「どこか」 にまやかされていた様相が解放されると、「今ここ」 に在るという意識の本来的な在り様の中に、満ち始める何かを感じることもあるでしょう、、
そこに、迷いや焦り、後悔といった、私たちの足を引っ張るものはなくなり、落ち着きと明晰な体感、勇気ある一歩一歩がその場で起き始めることに気づくこともあるでしょう、、
※昨日こちらは、まさかの35度超え、、
しきりにどこか涼しい場所を求める様相は実に興味深いものでした、、笑
今日も読んで下さり、ありがとうございます!