さて、連日34~5度の日々に、ようやく自我も諦めたようで、体感がだいぶ楽になってきました、、笑笑
なかなか今にいられない、、
今に居ようとすればするほど今ではない思考が沸いて来て今に居ないような感じがしてしまう、、
一体どうすれば今に居られるようになるだろう、、などといった心配に対して悟り系から一言、、
安心してください!どんなに思考が 「今ではない」 ところに私たちを連れ出そうとも、
私たちが今ここから離れることはどうしたって不可能であるのです、、
なぜなら、、この宇宙には今ここだけしか存在しておらず、、
実際のところ、、「今ここ」 が私たちそのものである以上、、
私たちが、それ以外の何かやどこかであることは 「頭の中」 にしかないのです、、
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というわけで、、今ここ、真実、悟りについて、、あれこれ 「語る」 こと、、「思い描く」 ということが、、
事実、それそのものから距離を置くことになり、違った何かを追い求めさせてしまう危険があるに違いないと見抜いていた禅の師たちは、、
「口を閉ざすこと」、、言葉や思考に頼らないことをその体系の主軸に打ち立てました、、
これがいわゆる、、不立文字 (ふりゅうもんじ)、、
もちろん、文字や言葉によって、真実を指し示すアプローチが可能であることは事実ではあるものの、、
禅の彼らは、、ひたすらに行ずることをモットーに 、、─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ
真実を 「祭る」 でも、「語る」 でも、「目指す」 でもない、、「真実それ自体として生きる」 ことへと流れたのです、、
彼らにとっては、釈迦の悟りですら、、語るに値しないものであると言えるでしょう、、
ですから、今ここ (真実) に居られない、今ここを生きられていないように 「思える」 ときは、、
そうした思考を脇に置き、、目の前にある行為の中に 「頭」 ではなく、「身体」 を入り込ませるように実践してみると良いかもしれません、、
「頭」 がはるか遠くの 「どこか」 に魅了されているときも、、私たちは常に今ここに居ることは揺らぎませんから、、
そうした体感が、自然と真実との同調へと転換をもたらします、、
というわけで、なかなかに忙しさを増す繁忙期、、─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ
久々に、、白隠禅師の仕込んだ禅スイッチを入れるとしてます、、
マカエンの禅定は賞嘆するに余りあり!!
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ