というわけで、「対象化」 によって生み出される二元的なエネルギーを見てみましょう、、
私たちは体感的に不快な出来事に遭遇すると、
「肉体の都合」 をトリガーとして瞬時のうちに防衛プログラム上の自我性 (恐れ) が反応し出します、、
例えば、この連日連夜のこの 「暑さ」 に際しては、、
この 「暑さ」 から離れたい、この 「暑さ」 を別の何かに作り変えたい、、
この 「暑さ」 であってはならない、この 「暑さ」 のないどこかへ逃れたい、、などとして、
このように、「恐れ」 や 「都合」 に無意識に意識が曇らされてしまうと、
このままであってはならないといった、「あるがまま」 に対する、「わがまま」 の否定や非受容性の感覚に伴って、、
「不快さ」 を与える状況を確固とした形に固定化し、
「それ」 から離れたい、「それ」 を作り変えたい、「それ」 であってはならない、「それ」 のないところへ逃れたい、、といった具合に、、
気づかないうちに、「それ」 といった 「対象」 にパワーが注がれ、疑いようのない実体としてそこにあるように思えてしまう、、
あるいは、「それ」 との無意識的な距離が生じるために、
「それ」 とは 「別物の私」、、
「それ」 を 「受け入れられない私」、、
「それ」 を 「滅し克服し乗り越えなければならない私」 の二元的な対立構造にまつわるストーリーが、
さも真実であるかのように観念の中に居座る結果になってしまったりもするものです、、
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こうした恐れと思考が絡み合う、一連の見事な分離のダンスを私は、、
「対象化」 などと呼んでいたりするわけですが、、
「対象」 即ち、二元性ですから、、こうした二元的な誤解の世界を生きることを手放し、、
「対象」 との軋轢や不調和の傾向を超える (溶かす) 術として、
まずは、そうした無意識的な、「恐れ」 に根差した反応の様子に気づくということ、、
そして、逃げたり、離れたり、否定したり、作り変えようとすることによって二元的な溝が生まれているというのであれば、、
その後に気づき (アウェアネス) から起こり得る非二元的な統合のプロセスは、、おそらくこうです、、
それは逃げないこと、離れたり避けたりするのではなく、、進んで 「対象」 に出会っていく、「対象」 とひとつになるということです、、
こうしたアプローチがエネルギーのレベルでは、二元性から非二元性へ、分離から統合へと誤解のエネルギーを溶かしてくれると言って良いでしょう、、
ここにおいて、「対象」 も 「私」 も全体の中で調整され、苦しみやストレスといった不調性は次第に姿を変えていくことででしょう、、
※というわけで、仕事柄、繁忙期に突入です!─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ
今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ