少し前 にも書きましたが、、
現象を生きる私たちにとっての 「幸せ」 というのは、
往々にして、自我 (恐れ) が満足することを指して 「幸せ」 と呼んでいるきらいがあります、、
ま、体感的にそれらは、確かに心地良いですから、
それらをひとつでも多く手に入れ、あるいは、できるだけ長くその状態を保とうとし、
「幸せ」 であることに留まろうとするわけですが、、
そうした態度が、、留まることなく展開する、あるがままの流れとの間に、
摩擦を生み、抵抗のもとになることは否めません、、
ですから、個人的なところでは、
「幸せ」 などいう一定のライン、枠をこしらえない方が、、
より自然に、無制限に、『幸せ』 を感じられると思っている次第です、、m(__)m
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「幸せ」 というのは、自我の恐れを解消し続ける、
自分にとって都合の良い、晴れの日ばかりが続くことではありません、、
現象の世界では、自分の都合に合わないことがどうしたって起きてきます、、
雨の日もあれば、風の日も、雪の日もあるのです、、
「晴れ」 ばかりを、「幸せ」 とした段階で、それ以外の日は自動的に 「不幸」 になるわけです、、
「幸せ」 という枠を作らずに、その瞬間、その瞬間の現象を味わう態度、
その瞬間の 「今」 からのプレゼントを受け取ることです、、
私に禅を教えてくれた禅師よくこう言っていたものです、、
今ここウェルカム、、
これに近い、禅語としては、日々是好日、、なんてのがあるかと思いますが、、
これらは、、自分にとって (都合の) 良い日でありますように、、といったポインターではなく、、
それが、例え、どんな日であろうと、どんな出来事が目の前に現れようと、、
そこから逃げず、そこに背を向けず、
ただひたすらに、出会いの中に三昧する、、
「今」 を受け取る、「今」 とひとつになる態度なわけです、、
「今」 という真実と手を繋ぐことができた時、、(*^o^)乂( ̄ー ̄*)
そこには、不思議なパワー、エネルギーが湧き起こったりするものです、、
最近はそれらに対して、他力の風なんて表現するのが好きですが、、( *´艸`)
エックおじさんで言うところの、、パワーオヴナウと同じポインターです、、p(^-^)q
てなわけで、、切れ味鋭い、、先鋭的な非二元 (笑) ティーチャー、、(; ・`д・´)
敬愛する、ジョーン・トリフソンさんの文章を最後に添えておきます、、
地獄を避けて天国だけを経験したいという願望こそが、
実は地獄の一側面であり、一種の催眠であり、あるいは欺瞞の言葉だったことが分かります。
下のない上はなく、晴れた日が永遠に続くことはありません。
解放は旅全体を含んでいます。
自分が好きな部分だけではありません。
ばらばらな世界の中の一つの分離した断片が自分だと思い込んでいる時、
私たちは地獄を拒んで天国を求めます。
解放とは、そうしたすべてを個人的に受け取らなくなること、
永久に天国だけを体験していたいとは思わなくなることです。
目覚めとは、自ら進んで地獄にいること、進んで失敗すること、
今この瞬間の人間としての不完全さのすべてを全くそのまま進んで抱えることです。
それは、苦しみや迷妄から目覚めることに対する関心をすっかり失うという意味ではなく、
どこに自由があるかを知っているという意味です。
自由がどこか 「外側」 にあるわけではないことを私たちは知ります。
何かを取り除いたり、何かを手に入れたり、
何かを直したりした結果として自由を手に入れるわけではありません。
自由とは、今この瞬間に経験していることとは別の、特別の経験ではありません。
私たちは理解します。
苦しみの出口は、出口がもはや必要ではなくなるところにあるということを!
パパパパパ、、パネー、、、(;´▽`A``
ジョーンさん、、あんたここまで語るかよ、、さすがにあたしじゃ無理よ、、( ;∀;)
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ