認知症を取り扱った映画 | キドラの憂鬱と微笑

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施設の介護の事 特に 認知症ケアの事
自分史 振り返り
ファンタジー文学

認知症、介護を

中心に置いた映画を

意識的に見ています。

「任侠ヘルパー」

「グォさんの仮装大賞」には

認知症の方も登場します。

「君に読む物語 the notebook」

「ペコロスの母に会いに行く」

「折り梅」

「ユキエ」は

認知症を見すえた映画です。

認知症を

題材として選択するという事は、

認知症についての理解を

広めるという社会的意味があります。

認知症という言葉は

以前から比べると

かなり知られるようには

なっています。

だけど身近に認知症の方が

いなければ

やはり偏見を持ってしまったり、

さらに何が偏見かさえ

わからず戸惑う人達が

まだまだ多勢いるのでは

ないでしょうか?

映画には

具体的に認知症の方や

その家族が登場し

自分を重ねながら

見る事ができるので、

よりイメージ深く

理解を深める事ができます。

この社会的意味は大きいと思います。

でも映画作家達は

決して社会的意味を中心に据えて

考えてはいないと思います。

認知症を柱にした映画の共通項は、

認知症の方の記憶が

テーマになっているのでは

と思える事です。

認知症というのは、

記憶を損なわれる症状です。

認知症が進行すると

指の間から砂が落ちるように

記憶がなくなっていきます。

その事に認知症の方は混乱し

不安を覚えるのです。

しかし、さらに進行し、

言葉さえ失い

表現する手段が乏しくなっても

感覚としてハッキリした記憶が

身体の奥底に残っているのです。

映画はその残った記憶にこそ

焦点を合わせているように思えます。

「ペコロスの母に会いに行く」の

長崎のランタン祭りの

エンディングのシーンで

幼い頃親友と聞いた歌を

思い出して

それを口ずさみながら

原爆で死んだその親友や

亡くなったご主人や

生きてきた時代の記憶を体感として

身体の奥底に持っているという、

そう言う風に感じる

シーンがあります。

これこそが

認知症でもなくならない

記憶なのだと思います。

家族の介護者も

僕のような施設介護者も

この表現されない記憶に

注目したいものです。