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この記事では、「今、私が患っているシェーグレン症候群関節リウマチに至る経緯」を書いていきます。 

 

 

その後のことに関する病状や症状に関しては、ブログテーマ「病気関係」をご覧ください。

 

また、お薬の件に関しては、ブログテーマ「お薬情報」をご覧ください。

 

 

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私は2001年夏から「紅斑」がみられ、自己抗体が高値だっため、膠原病を疑われ、地元の総合病院から紹介されて、地元千葉県の実家のある市の隣の市にある大学病院に通っていました。

 

 

しかし、その大学病院の本院は都内にあり、私が通うところの分院には膠原病専門医が月に1回しか診察がなかった上に、口腔外科がなかったのです。←れが、後に診断を遅くする原因となる。
 
2002年になると、紅斑口内炎が多発・関節痛があること・抗核抗体が高値であることだけで、はかなりひどいドライアイ角膜がひどく傷ついていたのに、眼科の検査は、いつもベーチェット病疑いだから、ぶどう膜炎しか検査してもらえなかったのです。
 
(角膜の傷は、当時購入していたコンタクトレンズ併設の眼科で指摘されました。)
 
そして、相変わらず、紅斑関節痛がひどかったため、この頃からリンデロン錠0.5㎎(ステロイド)を服用し始めました。
 
当時は、メンタルの病気など、全然わからなかったので、リンデロン錠0.5㎎(ステロイド)のせいで当然、精神は大崩壊
 
「お薬情報」にも書いてあるように、(当時は、みんな、わからなかったが)私のような重度の精神疾患を患っている患者ステロイド剤の投与厳禁です。
 
※これは、私が患っている精神疾患の病名による理由が大きいので、精神疾患によっては、重症度問わず、投与が可能かもしれませんので、医師とご相談ください。
 
当然、私も両親もそのことを知らなかったので、状態が悪くなる一方でした。
 
2004年、ままと某企業で出会いました。
 
(これが、後の私の人生の大きな転機となります。)
 
 
2005年7月、私の諸事情でままと一緒に暮らすようになりました。
 
まま一家は、私のことをとても温かく迎えてくれました。
 
そして、私が都内に転居したこともあり、ままやママの親戚の方々が血の繋がっていない私のために一生懸命私の病院(医師)探しを始めてくれました。
 
2005年夏、激痛が走るほどの関節痛があり、また歩行困難となり、ままの支えがないと歩けなくなりました
 
でも、私は、常に前を向いていて、毎日が楽しく、両親とのすれ違いも解消し、すべてが良い方向へ向かっているのがわかりました。
 
同時に、ままに勧めてられて、将来、病気になっても在宅でお仕事ができるようにするために某翻訳学校に通い始めました。
 
2005年7月、医学翻訳の道への第一歩を踏み出しました。
 
 
2005年9月、実家のある県内の大学病院への通院をやめ、勝手にリンデロン錠0.5㎎(ステロイド)の服用をやめました。
 
※これ絶対にやっちゃダメですよ。自分でも医学翻訳を勉強し始めていたので、ある程度の知識はあったし、乳児期からひどいアトピー性皮膚炎でステロイド外用薬とは離れられない存在として生きてきたので、ステロイド外用薬どんな形状のお薬であっても勝手にやめていけないことはわかっていました、でも、私はそれをやってしまったのです。
 
(大人になってからはアトピーの症状は出ていませんが、肌はとても敏感で弱いのは変わっていません。)
 
2005年10月初旬、2005年9月まで通っていた実家のある県内の大学病院の皮膚科の先生に書いていただいた紹介状を持ってベーチェット病で有名な先生がいる都内の大学病院へ初診にままと一緒に行きました。
 
(9月に電話で初診予約のお問い合わせをしたのですが、予約がいっぱいで10月初旬の予約となりました。)
 
ベーチェット病の名医の予約は、やはり取れませんでしたが、診察室に入ると、とても紳士的で物腰柔らかな先生(今の主治医ではありません)がいました。
 
そして、(当時はまだ知らなかったけれど)自閉症スペクトラムの私でも話しやすい雰囲気の先生で、すごく落ち着きました。
 
だから、自分の困っていることを話したり、ままがそこに補足してくれたり、今までの経緯を話したり・・・順調にどんどんと進んでいきました。
 
2005年10月初旬の初診から12月までの2カ月間で本当に様々な検査をしました。
 
(通院回数が多すぎて、本当にへとへとになるくらいでした。っていっても、今の方が通院回数は多いのですけどね(苦笑))
 
本当に色々な辛い辛い、または痛い痛い検査もたくさんたくさんありました。
 
脳波検査をしたら、異常との結果が出てしまいました。
 
(これは、今でもそうですが・・・何度検査をしても、てんかんでもなんでもないのに、脳波検査はいつも異常をと出ます。メンタルの先生もポーカーフェイスを装うをしていますが、脳波を見ている表情は、私とままには、バレバレで、「え!?」という顔をするくらいの不思議な波形をしているみたいです。いつも、笑ってしまいます。主治医は内科医なので、細部にわたって波形は診られないけれど、「精神科医の○○先生(メンタルの先生)なら詳しく細部まで見られるよ」と主治医に言われたので、メンタルの先生に見せたのです。)
 
眼科では、シルマーテスト左目1mm・右目・3mmローズベンガル試験フルオレセイン試験陽性角膜はひどく傷ついていたことがわかりました。
 
そして、初めての訪れた口腔外科では、口唇小唾液腺検査リンパ球浸潤が4m㎡当たり1focus以上該当ガムテスト(10分間)では当時はまだ唾液腺が破壊されていなかったため正常でした。
 
ちなみに、私はシェーグレン症候群特有の抗SS-A抗体原発性特有抗SS-B抗体二次性特有陰性です。
 
シェーグレン症候群の中でも原発性シェーグレン症候群では抗SS-A抗体保有率は約70%であり、二次性シェーグレン症候群では抗SS-B抗体保有率は約30%となります。
 
二次性シェーグレン症候群の方が抗体所有率が低いですが、後に関節リウマチになる私にとってはどちらの抗体を持っていないことも不思議ではないことがわかります。)
 
★原発性シェーグレン症候群と二次性シェーグレン症候群の違いは「難病情報センター」をご覧ください★
 
私は、シェーグレン症候群診断基準であるシルマーテストローズベンガル試験フルオレセイン試験口唇小唾液腺検査4つ該当していたため、2015年12月(25歳)、原発性シェーグレン症候群診断されました。
 
ベーチェット病疑いではなく、やっと正式な病名であるシェーグレン症候群 」と診断されました
 

2005年12月、当時の担当医が言いました。

 
原発性シェーグレン症候群 であることは間違いないけれど、 歩行困難が気になるから全身を詳しく検査しよう!そのために、年明けの2016年1月4日から検査入院してくれますか?」と。
 
そして、私は、2006年1月4日から3週間ほどの検査入院をしたのです。
 
そして、そこで病棟担当医となったのが初診から診てくれていた先生の後輩でもあり、ベーチェット病名医の元で日々頑張っていた当時28歳の今の主治医だったのです。←ここで、今の主治医と初対面!
 
(当時の担当医は、いつもは他の病院がメインで、その大学病院には週に一回しか来ていなかったそうです。でも、とても良い先生でした。)
 
3週間ちょっとの入院でも色々な検査をした結果、「歩行困難で歩けなかった」原因が、脳神経系のものでもなく、解離性運動障害であるものと診断されました。
 
一安心!←のちに、これが一安心ではないことがメンタルクリニックに通ってわかってくるのですが(苦笑)
 
しかし、とても幸せで、毎日、幸福感に満ちていて、不安などありませんでした。
 
それ以降、今の主治医に担当が変わりました。
 

そして、入院後初の診察日に、主治医から、さっそく、「シェーグレン症候群は、難病医療費助成制度(東京都)の対象だから、その申請をしよう。」と言われました。

 

でも、この時の私の症状は、軽すぎたため、難病医療費助成制度の対象疾患だとはいえ、難病医療費助成制度(東京都)は、受理されませんでした。

 

(でも、医師には申請をする義務があります。)
 
しかし、精神疾患かなり重症とのことで、大学病院より、個人で開業しているところの方が、細かくケアしてくれるし、急な対応もしてくれるとのことで、主治医の上司であるベーチェット病の名医である先生のお友達のメンタルヘルス科の教授の知り合いがが「最近(2020年12月)、開業した精神科医がいて、開院したばかりで暇だからそこがいいよ!」とのことで、
 
主治医自ら、診察の時に、電話をしてくれて、事情を話し、予約をすぐに取ってくれて、2016年2月14日に、今の通っているメンタルクリニックに、主治医の書いた紹介状を持って、ままと行ったのです。→そのお話は「☆ひめのこれまでの歩み(メンタル編)☆」をご覧ください。
 
そして、膠原病内科の主治医は、転院するごとに、「ごめんね~、ひめさん。今度の4月から、僕、ここの病院に移動なんだけど、ひめさん、ちょっと遠いけれど、通ってくれるかなぁ?!ひめさんを診られるの、僕だけだからさぁ。」と、主治医がどんなに遠くの病院に移動になっても、私も一緒に転院してきたのです。
 
(ただし、ニューヨークに派遣された2年間は、主治医のお墨付きの後輩医師が診てくれましたが、この先生も主治医のお墨付き通り、とても相性が良かったです☆私のことを、事細かく、事前にアドバイスしていたのでしょう。)
 
しかし、2005年(25歳)原発性シェーグレン症候群診断されて以降、症状ひどくなり唾液腺破壊されてゆき、シェーグレン症候群患者にありがちな薬物過敏症ひどくなっていきました。←テーマ「お薬情報をご覧ください。
 
そこで、2005年12月原発性シェーグレン症候群と診断されてからドライアイ治療だけ始めていましたが、2007年からはドライマウス治療も始めました
 
しかし、32歳頃からドライマウス治療効果が芳しくないこと・他の症状も出始めたこともあり、主治医は、再度、特定疾患の申請に踏み切りました。
 
◆2014年の2度目の特定疾患申請時の状態◆
ドライマウスの状態:ガムテスト(10分間)唾液1mL以下0.1mmにも満たなかった。正常値10mL))・皮膚症状中等度薬物療法奏功せずドライアイの状態:ローズベンガル試験フルオレセイン試験陽性腺症状軽度中枢神経症状(重度かつ薬物療法奏功せず)筋症状軽度抗CCP抗体高値(その時は、私には秘密にしていたらしい。この事実は2019年になって聞きました。)により、日常生活にかなりの支障を来していることから、特定疾患の申請をしたところ、受理されました。
 
※この症状の重症度は、あくまでも私が2014(34歳)当時のものであることをご理解ください。現在(2020年)の特定疾患更新時の「症状の範囲」や「症状の重症度」は悪化しています。
 
その後は、毎年、更新申請していますが、ありがたいことに毎年受理されています。←でも、毎回、受理の通知が来るまでドキドキする。
 
(ちなみに、今年からコメント欄(2020年4月~の受給者証のための書類)に、「介助なしでは生活困難である」が加わったのは覚えています。)←なんかコメントがメンタルと一緒だな(笑)メンタルは最初からそうだったけれど(笑)
 
2016年頃から手指関節が腫れてきて膝関節も痛くなってきました
 
(実は大のお酒好きな私だったので、尿酸値などは一回も引っかかったことがなかったのに、足の指関節も痛かったため、痛風だと勝手に思いこんでいて足の指関節の痛み主治医に恥ずかしくて伝えていませんでした(笑))←のちに、この話を主治医にしたら、「ひめさんが痛風なんてなるわけないじゃん(爆笑)関節リウマチ症状だよ。」と大笑いされてしまいました。あははのは。)
 
最初は、色々な非ステロイド系抗炎症薬を試して、関節の腫れ疼痛軽減をさせていましたが、どれも効果は薄く、また、薬物過敏症のせいでほとんどのお薬が使えませでした
 
唯一使えた非ステロイド系抗炎症薬(カロナール錠)でも、症状悪化していったので、2018年、ケアラム錠という免疫調整薬服用軽いを開始しました。
 
 
2019年12月私とままが診察室に入って挨拶をしようとする前に、顔を見るなり、主治医の放った一言が「僕、もう、決めたから!」でした(笑)←唐突に決意表明されまして、爆笑した(笑)
 
抗CCP抗体すごく高いことを主治医に明かされて、「え!そうだったの!!!」と私は驚きました(笑)←私、採血の結果を毎回もらっているのに、大して読んでいないのがよく分かりますね。
 
(一応、最初の頃から、ずーーーっと検査結果は全てもらって、お家にファイリングしてありますよ。)
 
これで、原発性シェーグレンから二次性シェーグレンへの昇格ですね!←嬉しくない昇格。
 
(シェーグレン症候群のうち約30%が関節リウマチ合併します。)
 
そして、関節リウマチ本格的なお薬を使った治療が始まりました
 
2019年12月、リウマトレックスカプセルによる治療が開始しました。
 
(ここから、お酒大好きひめの禁酒生活の始まりです!でも、日曜日にビール1本は自分に許しています。)
 
が・・・
 
副作用で口の中の粘膜がべろっとめくれてしまうくらいひどくて、口内炎も多発してしまいまして、リウマトレックスカプセルは3週間後には中止に。
 
そして、現在(2020年現在)服用しているリマチル錠に変更になりました。
 
でも、いずれリウマトレックスカプセルに戻すと言われています。
 
ちなみに、主治医に初めて出会ってから、具合が急変しないかぎりは、通院は月に1回です。
 
主治医曰く、「月に1回、ひめさんの顔を見ないと、ひめさんが死んだんじゃないかと心配で心配で、気が気じゃないんだよ。だから、月に1回は、必ず、元気でも顔を見せに来てね。」と言われています。
 
(私、精神疾患は重症だけど、鬱じゃないし、自殺願望ないからー。でも、解離した時に危ないことは数回あったらしいけど、ままが私をはかい絞めにして、難を逃れたらいです。本人、解離しているから、記憶なくて、覚えていない(汗))
 
しかも、実は、私、橋本病を示す抗tg抗体上限400倍あるのです。←メンタルでの採血で指摘されました。
 
 
シェーグレン症候群の約10%の患者に合併がみられるそうです。
 
(おやおや、シェーグレン症候群関節リウマチ橋本病!?シェーグレン症候群あるあるの合併症の典型例じゃないか!!!(笑))
 
メンタルの先生が、この件を主治医に伝えた方がいいと言われたので、主治医に伝えたら・・・
 
僕、前から知ってたよ~。だから、前から、ひめさんの新陳代謝、悪いって言ってたじゃん、僕。」って笑って言われました(私、爆笑)
 
でも、ありがたいことに、今のところ、困っている症状がないので、要観察です。
 
 
そして、今、一番、困っているのが、唾液問題
 
眼の角膜の傷は、「ヒアレイン点眼液0.1%を小まめに点眼すれば努力次第回復すると主治医が言っていたし、唾液を出すお薬をサラジェン錠でも、微量の出る」と主治医が言っていました
 
他には、軟膏を瞼の内側に塗ることによって、角膜を傷から守ることもできますし、最悪の場合、涙点プラグを埋めることもできます。
 
しかし、唾液だけは、お薬以外にないのです。
 
いや、他に方法があるにはあるのですが・・・
 
ドライマウスには、漢方のツムラ麦門冬湯エキス顆粒(医療用)有名ですが、私は、「お薬情報」にも書いたように、重度の感覚過敏漢方だと嘔吐してしまいす。
 
他には、人工唾液サリベートエアゾールっていうのもあります。
 
でも、主治医も言っていましたが、感覚過敏の私にとっては、地獄のような味でした↓
 
処方する時に、主治医は、「これね、まずいよ、本当に!」って、言っていたから、覚悟はしてたけれど、噴射式だから嘔吐はしないものの、「オエッ」となるほどのもので、二度と使いたくない!と、その後は処方はやめてもらいました。
 
そして、唾液腺マッサージ!
 
たまに、ドライマウス特集をテレビでやっていると、唾液腺のマッサージを紹介しているのですが、確かに、唾液腺をマッサージする唾液分泌されますが、あれは、唾液腺が腫れていないからできるものであって、唾液腺の腫れている私にはできない療法です。
 
そして、サラジェン錠の他に唾液を出すお薬2つあります
 
一つ目が、エボザックカプセルです。←気管支喘息のため使用不可
 
二つ目が、サリグレンカプセルです。←2007年服用するものの、副作用のため中止。
 
だから、私には、サラジェン錠しか道がないのです。
 
サラジェン錠副作用汗をかくはずなのに、汗を一切かかないので(腺がもう壊れまくっている状態!?)、私は熱がこもってしって、体温調節機能が働かない点が今の私の最大の問題です。
 
 

最後に、私は、メンタルだけでなく、主治医にも恵まれ、一番つらかった入院時、感染予防のため、個室に隔離されていた私の元に私服でやってきた主治医が、シクシクと珍しく泣いている私に向って、「ひめさんを診られるのは、僕だけだから、僕を信じてついてくるんだよ。僕は、ひめさんを見放さないから、大丈夫だよ(^^)」と言われました。私が発達障害だとわかると、セミナーに参加し、勉強もしてくれました。元々、膠原病の中枢神経症状に詳しい主治医であり、アレルギー学会の会員でもあるので、私にはもってこい!の主治医なのです。

 

私、アレルギーもひどいから。

 

(年の差3歳、もちろん、主治医の方が上。それなのに、自分の二人娘の下にできた娘のような扱いをされます(笑))