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この記事では、「今、私が通っているメンタルクリニック初診日(2006年2月14日)から発達障害診断まで」と「メンタルクリニックの先生と担当看護師さんとの信頼関係」を書いていきます。

 

その後のことに関する病状や症状に関しては、ブログテーマ「膠原病・発達障害・精神疾患」をご覧ください。

 

また、お薬の件に関しては、ブログテーマ「お薬情報」をご覧ください。

 

 

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私が、今のメンタルクリニックに、私の膠原病内科の主治医が書いてくれた紹介状を持って、ままと一緒に初めて訪れたのは、2006年2月14日

 

 

(バレンタインデーだから、忘れたくても、忘れようがない日です。)

 

初診では、紹介状をじっくりと丁寧に見ながら診察をしてくれ、私とままの話をゆっくりと先生が聞いてくれて、カウンセリングをえけているようでした。

 

先生の診断によると「うつ病」と「解離性障害」による「解離性運動障害」での歩行困難でした。

 

約3年間歩行困難状況が続きました。普通は、数時間で歩行障害は治るそうですが、私の場合は解離症状重症のため、年単位での歩行困難が続きました。今でも歩行困難の症状が出ることがあります。)

 

私は、診察のことはほとんど覚えていないのですが、初診時に言われた唯一忘れられない言葉は、「ひめさんの症状(疾患)は重症で、いくつものものが重なり合っているから、それを一つ一つ長い年月をかけて、丁寧に剥がしていって、核にある本当の病気を探そうね。」という言葉です。

 

そして、2006年7月、「自立支援(精神通院医療)」の申請をし、10月に無事、「自立支援(精神通院医療)」の受給者証が私の手元に届きました

 

(精神科の診療費やお薬代はとても高いので、本当にありがたかったです。週1~2回のペースで通院していたので。。。)

 

その後、診察時の私やままの話から、先生は、「うつ病」と診断し、私やままの話から、幻覚幻聴があることを確信し、「統合失調症」だと判断し、それに合った処方をし始めました。

 

その後、先生は、私と会話していく中で、幻覚幻聴が、「解離性同一障害」である私の他人格の存在だと気づきました。←たぶん、この時点で、「統合失調症」ではないと確信したんだと思います。

 

(私は、知らされていなかったので、知りませんでした。この時点では。)

 

しかし、その後、テンションがおかしなことになり・・・

 

2009年1月頃から「統合失調症」ではないと確信した先生は、「双極性障害」のリーマス錠」が処方され、おかんをメンタルクリニックに呼び、「これは、ストレスや心の問題とは一切関係のない病気です。脳の機能の問題です。そして、お仕事は普通のようにもうできません。」と初めて、ここでお仕事できない」宣言を先生から受けたのです。

 

おかんは、この「お仕事できない」宣言を受ける以前から、私がお盆やお正月に帰省した際に、大勢の親戚が実家に集まり大声で話す親戚たちの中で過ごすのが(当時は自分でも知らなかったけれど)聴覚過敏の私には苦痛でたまらなくて、「うわーーーー!!!」っとなって、パニックを起こした私を客間のある1階から私のお部屋がある2階へ連れていき、私をぎゅっと抱きしめて、パニックを起こした私ぎゅっと抱きしめて、「ひめ、大丈夫だよ。」と、私が泣きやんで、落ち着くまで抱きしめてくれるような存在だったから、このお仕事できない」宣言くらいでは、動じませんでした。

 

(あと、膠原病にもすでに罹患していましたからね。でも、これ、昔のブログを遡って書いたものなので、自分では記憶にないのですが・・・今思うと、発達障害の特性ですよね、完全に。)

 

その後も、お薬の処方が色々と変遷をたどっていくことになります。

 

2007年メンタルの診察で、ままが「ひめは、些細なことでとても心をえぐられるような感覚に陥ることがあって、それを週単位、月単位で引きずるって言うんですけれど、そんなことってあるんですか!?」と先生に聞いたんです。

 

そしたら、先生が、「そういった、ものすごく繊細な人も中にはいるんですよ。」と答えてくれました。

 

そして、何かの雑談の中で、「ひめちゃんさ~、もしかして、運動音痴!?」と、聞かれたので・・・

 

「ああ、そうですね~。走るのは、速かったけれど、テニスとかバドミントンなんかは、ラケットにボールがかすりすらしなかったし、ボールをキャッチすることもできなかったし、自転車は二人乗りはもちろんのこと、一人乗りでもゆらゆらしていて、ちょっとしたでこぼこがあるとすぐに倒れてしまって、転んでしまったり、車の免許を取るために通った教習所では、筆記試験に3度も落ちて実技試験では、何とか一発で合格できたけれど、道路実習で木に激突しそうになって、教官怒られて速度も20キロしか出せなくて、教官に免許はあげるけれど、運転はするな!って最後に言われて教習所を卒業しましたよ」って話しました。

 

(実は、免許を取った後おとんを隣に乗せて、車の運転の練習をしたら・・・おとんにも同じことを言われました。でも、妹は免許を取って以降、おとんが隣に乗っても、運転を許可されています。)

 

その話を聞いた先生は、「もしかしたら・・・ひめさんは、発達障害の可能性があるから、その検査でもしてみるか!」ってことで、2009年11月30日にWAIS-III成人知能検査をしました。

 

先生が「検査、随分と時間かかったね~。どうだった!?」って聞いてきたから、「えーすっごい難しかったよー。途中、臨床心理士さんにお願いして、疲れて休憩入れてもらったよ。3時間半かかったんだもん。疲れないはずないでしょ。じゃ、帰るからね、私。」と言って、その日は帰りました。

 

そして、数週間が経ち・・・結果が出て、診察室に入ると・・・

 

その検査結果が、「発達障害である」だったのです。

 

しかも、IQがかなり低い!!!

 

それを見た先生が、「なかなか入ることの難しい某女子大学にストレートで入学してストレートで卒業までしているなんてありえない!しかも、ひめさんのIQでは、そもそも、どこの大学にも入学などできるはずがないこの検査は、解離していて、他人格受けていたんだそうでないと、説明がつかない。臨床心理士の先生とも話して判断したよ。」とのことで、27歳(2007年)の時に受けた発達障害の検査では診断がつきませんでした。​​​​​​


(しかしながら、この時も、大量の薬付きで通院継続中。)

 

そして、時が経ち・・・

 

2011年3月11日、東日本大震災があった後からメンタルがどんどん悪化し、気性のアップダウンが激しくなりました

 

(すみません、私は覚えていません。)

 

先生は、私が、毎日、朝から夜までクリニックで過ごせるようにと、クリニックの一部をリフォームして、私の自室「通称☆こびとさんのお部屋」を造ってくれて、毎朝、ままと一緒にお家を出て、9時~ままの仕事が終わって、ままがクリニックにいる私のお迎えに来るまで(20時半~22時)までクリニック過ごしました。

 

通常、クリニックの営業時間10時~20時半で、最終受付20時です。今は、コロナのため、時間が少し早く終了しているかもしれません。

 

そう、先生は、一人で外出するのは、危険すぎると判断し、私のために、ままの仕事が終わるまで、私に付き合ってくれたのです。

 

その間、先生は書類を書いていることもあれば、私と待合室の椅子に座って雑談をしながら、私の過去の情報や経験・私の思考などを引き出そうとしていたのかもしれません。

 

東日本大震災以降平日は毎日、クリニックで長時間過ごすことになったことで、私を見るたびに先生の中で何かが確信に変わりました。

 

そして、毎日、先生や担当看護師さん私の診察や治療をしながら私の行動や言動を観察していると・・・


「やっぱり、ひめさんは発達障害だ!でも、IQ68なのに、なんであの大学に入れたんだ!?天才か???」と言われました。←失礼だな~と内心笑いながら思いました。

 

(ここでは、個別のIQは省略いたします。一般的なIQを記載します。ちなみに、個別のIQも100を超えるものは一つもありません。というか、個別のIQは80を超えるものすら一つもありませんでした。)

 

20011年6月発達障害(注意欠陥障害(ADD)と正式に診断されました。

 

そして、先生が「ひめさんさ、手帳、持ってるでしょ。」って言うから、「は?!何の手帳?!」って、聞き返したら・・・

 

精神障害者保健福祉手帳だよ~。」って、言うから、「持ってないよ。」って返事をしたら、めっちゃくちゃ先生に驚かれて・・・

 

ごめん!ごめん!とっくに申請してたと思ってたよ~。すぐに、書類、書くからね。ごめんね。」と、先生に謝れました(笑)

 

(診察後、ままとその話でめちゃくちゃ笑ったょ。先生の慌てぶりに(笑))

 

そして、本当に、すぐに書いてくれて、無事、2011年9月に「精神障害者保健福祉手帳」が受理され、手元に届きました。


しかし、その後、毎日私の行動や言動を観察し続けた先生は、発達障害の障害分類​​「自閉症スペクトラムに変え、そこにADD(注意欠陥障害)ではなく、注意欠陥多動性障害(ADHD)、「​発達性協調運動障害(DCD)」​、学習障害(LD)」​合併があり、重度の「感覚過敏を持っているとわかったそうです。

 

 

2011年1月、おとん・おかん・私・先生の四者面談が行われました。

 

私の両親を呼んで、先生・私の4者面談が行われました。

 

その時に先生からの説明では、「ご両親は、ひめさんを育児する中で、たくさんの愛情を注ぎながら、多くの躾をしたと思います。また、彼女が失敗をした時には叱ることもあったでしょう。でも、残念ながら、彼女には、それを理解する能力は全く備わっていません彼女の脳の機能では、我々が言っていることが全く理解できていないんです。そして、ひめさんは、〇〇女子大学を卒業していますよね。でも、ひめさんのIQだと、本来なら、どこの大学にも入学などできるはずがないです。ただ、彼女の脳の機能は特別で、大学受験のために、数十冊の参考書やテキストを写真のようにすぐに記憶して、合格できたんです。」と言っていました。

 

そして、私が、「先生、妹も同じ大学卒業ですよ。」って言うと・・・

 

妹さんも同じ大学卒なんですか!?それはすごい!」と言う先生。←持ち上げるの、うまいな~先生、と心の中で思っていた私(笑)

 

忘れましたが、色々な話をしていく中で、私の二次障害の話になり、その中で「解離性同一障害」の話になり・・・

 

「そうそう、彼女には、解離性障害があり、以前、歩けなくなったことがありますよね。この障害には、解離性同一障害、いわゆる、多重人格というものがありますひめさんにもそれが見られますひめさんは、何人の人格がいたんだっけ!?」と先生に聞かれたので・・・


私は、「先生、6人って言ってましたよ。私は無意識だからわからないけれど。」と言い、おかんとおとんの前で堂々と宣言したょ、私!

 

(別に恥ずかしいとか、隠したいとか思っていなかったし、私の障害(二次障害含めて)全てを知ってほしかったから、私としては、極々普通のことだったのね。)
 

6人もいたなんて、私、びっくり!!

 

でも、ショックじゃなくて、心の中で、面白くて笑った!!!だって、おかしいもん(笑)

 

すると、突然、おかんが「妹の方が頭はいい方なんですけどねぇ。」と言いました。

 

すると、先生は、「さんは、ただ学校のお勉強ができただけで、ひめさんは地頭が群を抜けていて、洞察力が非常に優れていて、本当の頭の良い人なんですよ。」と、おとんとおかんに言って驚かせていました。

 

(確かに、学校の成績は、妹の方が良かったです。)

 

そして、自分では気づかなかった、(先生に指摘されて気付いた)「ひめさんは抜群の記憶力と洞察力で大学受験対策は、参考書や教科書を何十冊も写真のように記憶できること、英文なら、一文が5~7行程度の場合、一瞬で文法解析して読むことができるため、僕が言ったひめさんのIQでは、大学ですら入れないのが当たり前なのに、ひめさんは、なかなか入ることの難しい某女子大学にストレートで入学してストレートで卒業することができたんですよ。そして、ひめさんの脳は、普通の人と違っていて、日本語でなくても、文章というものは、前から読むものですが、ひめさんは、文章を、一度、バラバラに分解してから、組み立て直して、読むんです。と、先生が言うと・・・

 

おかんが、「本当にそんなことってありえるんですか!?」と不思議がって、先生に質問したので、先生は、「世の中には、稀にそういった脳を持っている人がいるんですよ。」と、先生は答えて、おとんとおかんを驚かせていました。

 

その後、先生から「お父さん、お母さんから、何かご質問はございませんか?これだけは、言っておきますが、ひめさんは、天才かバカのどちらかです(お、すっごい、おちを持ってきたな!先生!と私は心の中で笑いながら思っていました)。でも、普通の発達障害者は、社会適応が必ずできるようになるります。ひめさんも、コミュニケーションの部分は多少は良くなります。でも、それ以外の部分は、もう、ひめさんに言い聞かせることしかできませんどんなに頑張っても、普通の人と同じようにはできません彼女は頑張っています。そして、何かあった時は、必ず、ご両親のサポートも必要です。彼女は、周りのサポートがないと、生きていけないのです。僕(先生)が親だったら”普通”を諦め、サポート体制を整えます最後に何かわからないこと・質問等はありますか?」と聞かれると・・・

 

(「働けない宣言」は、すでに26歳くらいで、発達障害云々の前に精神疾患が重度のため、言われていましたから、親はそんなに驚いたり、失望したりしていませんでした。すでに、仕送りもしてもらっていましたし。)

 

おとんは、「質問も何も・・・言葉が出ないな。」と左胸に手を当てて、かなりの衝撃を受けていました。

 

(おとんは、もともと寡黙なタイプでかなりの心配性。元消防士で勇敢に立ち向かう仕事をしているけれど、お酒を飲まないと饒舌にならない(笑))

 

おかんは、「わかりました以前からでしたが、今後もしっかりとサポートしていきます。」と答えていました。

 

(おかんは、社交性が高く、PTAをやったり、交友関係も広く、昔から、私たちが学校に行っている間(おとんが仕事の日限定)、自宅に友人を招いて、パッチワークを皆でやりながら、ティータイムをしながら、友人と会話を楽しんだりしていた。でも、先生は、おかんとの会話は、すっごく面白いと言っていた(笑))

 

そして、面談が終わると、先生が私のためにリフォームまでして作った小部屋「通称☆こびとさんのお部屋」を、私の両親に、なぜか、どや顔で紹介し、そこに保管されていた数々の私の手がけた作品をどや顔で見せて、先生が嬉しそうに説明していました。

 

そして、私の親でもない先生が、またどや顔で「これらの作品は、ひめさんの頭の中におりてきた構図をそのまま描写したものなんです。考えて作成したものではないんですよ。そして、こんなに細かい作業なので、細部にわたってこだわっているのに、作業時間がとても短いんですよ。」と先生が満足げに言うと・・・

 

おかんが、「ひめの作品は、よく写真撮って、メールで送ってくれて見ていたのですが、実際に見ると、こんなに大きな作品だったんですね。そして、何より、嬉しいのが、どの作品も全てが優しい表情や雰囲気で、私たちは、とてもひめの作品が大好きなんですよ。私のお誕生日には、ひめが作品を私のために送ってくれて、お家に一番見えやすいところに飾ってあります。」と嬉しそうに先生に話していたのが印象的で嬉しかったです。

 

(その作品は、おかんが亡くなった時(2017年6月3日)に、「お母さんがとっても気に入っていたお姉ちゃんの作品だから、棺に入れていい?」と妹に言われたので、「もちろん!」と、私は答え、棺に入れて、おかんと共に天国に送りました。)

↓その作品がこちらです。2011年4月から創作活動を始め図工・美術の成績がひどく悪かった私ですが、頭の中におりてきた構図だけは描ける(造れる)ようです。でも、2007年7月に作ったもので、創作活動開始3カ月目の作品なので粗削りな部分は悪しからず。


※ちなみに、日本語でも本は読めません。英語も論文などは理解できますが翻訳すると日本語がおかしいことになります。また、英文学は全く読めません。

 

2016年、先生は、2度目のWAIS-III成人知能検査を私にしないか!?と尋ねてきたので、2016年2月28日に再び検査を行いました。

 

その結果がね、もう最悪でね。

 

2009年の時もIQがかなり低かったけれど、それでも別人格の優秀でいい子の「さゆりちゃん」が受けていたんじゃないか!?と疑いたくなるほど、人格が統合された後の私のWAIS-III成人知能検査結果はさらにさらにさらにひどかったです。

 

なんと、いわゆる一般的にいわれるIQが68ですよ。

 

っていうか、細かく分類された項目のIQが全て80未満という結果でした。

 

だから、先生が2009年に受けた検査では「解離していたんじゃないか!?」というのは、あながち、間違ってはいなかったのかもしれない、と思ったのでした(笑)

 

まあ、へこみもしませんでしたけどね。

 

だって、すっごく難しいと思って、検査を受けていたから、そんなもんか~って思って結果を見ましたから。

 

 

そして、は自室で創作活動をしたり、漢検のお勉強をしたりしながら、一日を過ごし先生は、私の発達障害や二次障害、そして、新たな脳の病気のことをどんどん掘り下げて解明してくれました。

 

発達障害は先天性のため、子供の頃から発達障害による重度の二次障害を発症していました

 

この面談、壁1つ隔てた部屋の向こうで、担当看護師さんが耳を立てて密かに聞いていて、メモっていました。そしたらね、「ひめさんが、ご両親にたっくさんの愛情を注がれて育てられたことがよくよーくわかったよ(^^)」って言ってくれたんです。

 

そして、「ひめさんは、バカか天才だったら、天才。でも天才というより、”奇才”ってタイプだよね(笑)」)←褒められてるのやらなんなのやらわからないことを担当看護師さんに言われました(苦笑)

 

私の担当看護師さんは、年齢は私より約5歳ちょっと上ですが、子供がいないせいか、「妹」や「子供」というより、担当看護師さんの飼っている「ワンちゃん」に性格や行動がとても似ていることから(ワンちゃんの名前が、私のハンドルネームと一緒)、うちのワンちゃん(家族)とそっくりだとよく言われ、まるで家族のような存在として見守ってくれています。

 

だから、他の患者さんに対しては決してしませんが・・・

 

規格外の重度の発達障害者である私を社会に適用できないにしても、せめて、私が周りに助けを求められるようにSOSを出すことができるようにするためのトレーニングを子供の頃からではなく、いい大人になった2011年(31歳になる直前)から始めたということもあり、

 

いけないことは、ちゃんといけないと叱るし、私が客観視できていなければ、ちゃんと本質を見抜くように話を最初から丁寧に繰り返し繰り返し話してくれるし、その分、本気で叱られるたこともありますし、パニックを起こして点滴や静注を嫌がるのことを床を引きずりながらお部屋に連れて行くこともありましたし、特別に優先して話を聞いてくれたこともありましたし、細かなケアをしてくれたりする部分もありますし、衝突することもありましたが・・・

 

私の担当が決まった時に、「ひめさんは頭の中で言葉がぐるぐる回って言葉が出てこないことが良くありますし、表現方法がわからない時が多々ありますが、初めは、暴力的な言葉で意思表示をしてきても、私はそれを全力で受け止めます」と、先生にこっそり宣言していたのを、超地獄耳の私が聞いたことにより、

 

最初の頃は、毎日、クリニックに行くと、午前中に2時間くらいかけて、担当看護師さんと二人でゆっくりとお話をして、午後からは治療もしていき、日常生活(集団生活・社会の中での生活)をしていく上で困難にぶち当たった時やパニックを起こした時には、落ち着くまで待ってくれて、私が落ち着いた後に、話を聞いてくれて、私の理解できない些細なこと(普通の人なら理解できる曖昧なニュアンスの言葉や顔に出る表情)にも、「今の言葉の意味がわからない。今の表情の意味が分からない。」という私に対して、真剣に真正面から答えてくれて、アドバイスをしてくれ、少しずつ信頼関係を築いていき、今では、持病のことも人一倍心配してくれる頼れる担当看護師さんでもあり、ままと同じような存在でもあり、女子トークができるお姉さんでもあり、冗談を言い合えるちょっと年上の友達でもあり、時には、担当看護師さんの旦那さんのへまを聞く役割を私が担い家族のような関係になっていきました。

 

というより、担当看護師さんの飼っているワンちゃんと同じような存在のようにも見えるが。。。

 

だから、今、通っているメンタルクリニックの先生(院長)と担当看護師さんからは、「よくここまで生きてこられたね、ひめさん(泣)ひめさんが生きているのは、奇跡なんだよ!!!ひめさんは、奇跡の人なんだよ!!!」と、言われるほど、発達障害やそれによる二次障害・そのほかの精神疾患が重度なのです。

 

(あ!最近、ブログに書いている脳の病気は、これとは、全く関係のない別物です。これは膠原病の中痛神経症状か精神疾患か判別がまだついていません。)

 

でも、私の基本的な性格は、明るく、楽観的で、いつも笑っているため、「ひめって、本当に病人(障害者)には見えないよね~。本当にすごいよ!尊敬する!大学生時代から心も笑顔も全然変わってないもん!」とよく言われます。

 

すっごく嬉しい褒め言葉!!!ありがとう、友よ!!!

 

そして、その友達は、(脳の病気が判明した後には)「私だったら、耐えられない。絶望感に苛まれて、崖っぷちに立っちゃうよ。でも、ひめは、(膠原病内科の)主治医との写真を写メで送ってくれて見た限り、やぱり昔から変わっていなくて、うまくコントロールして、受け止めて、周りにステキな人たちに支えられて、息抜きもして、明るくて、笑顔で、本当に尊敬する!」って言ってくれました

 

またまた、すっごく嬉しい褒め言葉!!!ありがごう、友よ!!!

 

発達障害や脳の治療で、今までやった薬物療法以外のものは、海外から取り寄せた当時まだ保険適用外だったからめちゃくちゃ高かったTMS療法」(今は保険適用です)、「TENS」(保険適用)、「セファリー」(保険適用)という脳に効果あるって言われた治療をやったよ。でも、私の場合は、3つとも全部効果がなかったの。今は、「フィジオアクティブ」をしています。

 

でも、「フィジオアクティブ」も人とは、違う反応をしたので、ちょっと違う使いかをしています。

 

私のプログラム3では、おでこにつけるパットは、普通は右側なのですが、私は右側につけると不安感が急激に増幅し、そわそわしだして落ち着かなくなるので、みんなと逆の左側にパットをつけています。


 

そして、「日本の保険制度」、「税金を納めてくださる国民・都民・区民の皆さま」、「日々、お薬を開発して下さっている方々」、「医療従事者の方々」、本当に、本当に、ありがとうございます。

 

今、私が笑って生きていられるのは、皆さまのおかげです。

 

いつか恩返しができたら・・・と思っていますが、私には夢があります

 

それは、もし、私が亡くなった後に、お金が残っていたら、発達障害児の才能を伸ばす基金に寄付をしたいことです。

 

もう、その寄付先は、決めてあります。​​​​​​