閑話休題 じんせいはあなたがおもうほどわるくない | 婦人科備忘録

婦人科備忘録

ある婦人科医の独り言です

ネタ提供ウェルカムですが
最近ご質問内容が
すでに記事になっていることが多くなってきました。
お手数ですが、まずはブログ内をご検索ください。

私は「がん」を

結局それを専門にせず、逃げちゃった人、です。

 

研修医の時分はまんべんなく患者さんを担当

がんだけ避けていくわけにはいきませんので

苦手でもなんとか食らいついていくわけですが

感情移入が甚だしく

がんの経過で一喜一憂してしまい

患者さんの体調の悪化とともに自分の体調も悪くなる、というね。

 

伴走者が疲れとる場合か 怒

 

とよく叱られてましたっけ。

もうお腹いっぱいですよ、がんはね。

だから「がん」を語っては

いけないのかもしれないですけどね。

 

先日上梓の

「Nothing was written(運命などない)」に登場した

膀胱がんから全速力で逃げたマドモアゼルに寄せ

「自殺したかったのでは。

   がんは確実に死ねる、ありがたい病気です」

と寄せたコメントがありました。

 

実際、医療の最前線ではそのようにがんを捉える人もいて

何もかもから逃げに逃げ、説得する主治医も家族も振り切って

ある意味、見事に生を終えたケースも

目の当たりにしたことがあります。

3年くらい自宅で未治療のままがんばり

いよいよの時、救急車で大学病院へ送り届けてもらい

到着して3時間で厳かに三途の川を渡り終えた。初志貫徹。

そのあっぱれさには目を見張るものがありました。

ここまでくると、もう北島康介。なんも言えねえ

 

おおまかにいえば婦人科のがんはいずれも

平均的に言えば診断が下ってから

なんの治療もしなくても2年くらいは寿命があるので

その間に三途の川を渡る準備ができるっちゃー、できる。

確かに治療は酷なものが多くて

どうせいずれは死ぬのに・・・と考えてしまうと

むしろ無駄のような気がしないでもない人がいてもおかしくない。

 

ただ、渾身の思いを乗せて書いた

「Nothing was written(運命などない)」を読んでもなお

「がんで死ぬからいいや」と思ったんだったら

全然文脈を理解できていないし

全然あれに説得されていないし

全然心に届いてないよね。もうほんとやだ。

国語の勉強しなおしてこい、レベルよ

 

卵巣がんと診断された、かつての同僚が

私の意見を聞きたいと訪ねてきたことがあった。

ずっと独身で係累の少ない彼女

自分が死んでも嘆く人は誰もいないし

確実に死ねるんだったら逆にラッキーかも。

ボケて死ぬよりなんぼかマシ?

そう言って、

「治療せんどこ、と思うんよね。どう思う?」

と来たんだった。

 

更年期のほてりかもしれないけど

かーっと来たよね。かーっとね。

 

人間はねえ、がんになってもならなくてもいつかは死ぬ。

だから無駄なんだ、生きなくていいんだ

と諦めてしまうのは四方八方に失礼千万なんだよ

あなたがあなたのことを

「どうせ自分なんて誰も注目していないよ」と思っても

会えなくてもあなたがこの世にいることだけで

もう少しがんばろっかと思えている人が絶対に、いる。

少なくとも私はそうだし、あなたもそう思ってくれてると思ってた。

「惨めに死なない」ということは

あなたがこの世に遺す、すべてに対しての礼儀

友達にもう死んでいいかね聞くのは、失礼ちゃうん

 

彼女は下を向いてちょっとだけ泣いて

その場で治療を受けるとは言わなかったけれど

わかった。とだけ言って、帰った。

後日短い連絡が来て、無事に手術が終わり

抗がん剤の治療に入ったと報告があった。

間に合った、と思ったね。

なんとか間に合った、って。

 

それから数年経つけれど

彼女は医療機関で元気に勤務しています。

一行だけ、元気ですと書いた年賀状をくれる。

一回も会いに来やしねえ。

 

でもね、い~んだよ、それで。それだけで。

それ以上の何があるっていうの。

 

もちろん、病気の方が優勢なこともあって

もう勘弁してください、ってなることも

残念ながらこの世には存在する。

でも、ぎりぎりまで礼儀を尽くして

もう許してくださいってなるのと

最初から試合を放棄するのとでは意味が違う。

 

人間は生き様も死に様も周囲の人間と無関係では決してない。

くだんの彼女のように親戚縁者が限りなく少なくても

関わった人間がゼロである人は絶対にいない。

それらすべてに敬意を表して

最善を尽くすのは絶対に絶対に絶対に絶対に

無駄ではないのです。

 

ちなみに、ボケると

前頭葉の機能が一番先に落ちるんで

いわゆる「抑制」が取れて

人間の「核」みたいなのが出てくると思われ。

前頭葉というハーネスが取れた時も

やっぱり礼儀正しく人にやさしくあれるように

そこらへんは自分なりに修行しておく、でい~んじゃなかろうか。

 

今朝もナースステーションでやさしくかわい~いおばーちゃんが

ごはんをせっせと食べていたが

おいしいですかと聞くと

こんなおいしいごはんをありがとうございます、言うてありました。

いじらしくて泣ける。かなりムネアツ。

しかもこのおばーちゃん、お布団がいっつも

きちっとたたんであんの。

昼間はベッドのはしっこにちょん、と腰かけてんの。萌え

 

見てるからね、こういうところ。人は、さ。

 

ボケるのはいやだ誰が責任取るの!とコメントにも書かれていましたが

清く正しくかわいいボケは最期に人に愛されるのに必要。

人間が無償で愛されることなんて、生直後から9歳くらいなもので

後はギブ&テイクの連続じゃないの。

誰からも愛され大事にされるいじらしいボケなら

別段、がん放棄死なんかより100万倍、

幸せなような気がしますです。

 

 

じ~んせいはあ~なたが

おもうほど

わるく~ない~

    ー元気を出して by 竹内まりや

 

 

あたしゃかわいくボケるのを目指すYO

この試合を、ホイッスルが鳴るまで、がんばるYO

 

あなたも、ご一緒に。