love-3025様の記事引用失礼します。

「①」「②」「③」と続けて検証して頂きました。
下から順に日付通りです。
love-3025様が三日間を通して検証された記事です。
勿論、下準備には相当なお時間を割かれたことと思います。
まとめて下さったこと、心より感謝いたします。
記事引用させて頂いて私の頭の中も大分整理されましたありがとうございました。
 
ご苦労された記事をそのまま引用とは、申し訳ありません。
ただ、私自身こんな素晴らしい検証をブログ内に記録しておきたいということと、
微力でも拡散できたらという気持ちです。
 
秋篠宮の婚約が1989年11月、結婚が1990年6月、
という事実が秋篠宮のタイとの醜聞隠しだったのかもしれないと判明してくると、
あの、「初恋でしゅう~。」なんていう会見でさえも国民の目を逸らす目的だったの
かと空恐ろしい本人達、親、政府です。
 
会見などただのパフォーマンスで、真実はそんなことの斜め上をいく隠ぺいだったのですね。
 
そして、そんなことも承知でその秋篠宮との結婚まで漕ぎつけさせた川島家、特に辰彦氏
も、相手が相手ですから相当のやり手だったと想像します。
 
今思い出すのが、KKの母、オケヨさんが秋篠宮家に借金の肩代わりを頼む目的で前天皇夫妻に会わせろと
971に電話したという話。川島家も小室家も娘、息子を皇室の姻戚に繋げるためには何でもしたということですね。

もう少しで手が届くという目的が我を忘れるんでしょう。キコも親と同様に立ち回ったでしょう。婚約が決まった時、

「やった~!これで贅沢できる~。」と、友達に言ったそうですから。それにしても、やはり問題を持ち込むのは

生まれながらにしての皇族以外の一般人なんだとよ~く分かりました。)

 

 

一生の税金生活を目指すためだけの皇室との関係はこれでミテコ、キコ、タイ王室の裏金作りのためと広がりました。

 

   

 

 

 

以下引用

 

   秋篠宮の婚約が1989年11月、結婚が1990年7月。

   この間、秋篠宮は本当にタイに行かなかったか?

   タイとの醜聞を恐れ喪中婚約までし結婚を急がせたのに・・・

   紀子さんが婚約で安心し忙しくなってる間に、隠れて行ったのでは?

   結婚の儀に本当はチュラボーン王女が列席したかったが、身重でかなわずシリトーン

   王女が代わりに列席だとしたら。

   子供が誕生したのは9月ではないか?なんて思ったのですよ。

 

   1991,天皇皇后が9月26日~30日タイ訪問

        92年は9月秋篠宮がタイへ11月秋篠宮と紀子さんが、インド、スリランカ、タイ                        

   シリッキト王妃還暦祝に出かけてます。

 

   私はこう思いましたよ。子供の不始末のため親が謝罪に出かけたのでは、とね。

 

   そして1991年10月には、56億の吹上御所の建設が始まります。(H3年です)

   この56億、臭いませんか?

   王族との金銭での補償、慰謝料、養育費ば度なら百万や千万の単位ではないはずです。

   いずれにせよ、王族間の秘密を守るために相応の対価が必要になったのでは?

   その対価が建設費からひねり出していたとしたら?

   美智子さんが我慢できないなら、何故平成とともに建築の話が出なかったのでしょう?

   建築する事情が裏にあって、この知恵をつけたのは官僚、政府では?

 

 

   私は、これを書きながら複雑な気持ちでした。

   他国をODAなどで農業などあらゆる分野で援助がされ、

   子供や学生の教育待遇はよくて・・・

   

   私たち日本人は誰のために働いている??

   農家は作りたいものも自由に作れず減反は進められ、子供の教育費に四苦八苦し

   留学生には授業料どころか生活費まで面倒見て、日本の子は奨学金返済で結婚も

   ままならず。

 

   赤坂の髭ナマズは、女遊びの付けを国税で知り拭いのため裏金つくり疑惑がどんどん濃く

   なる。しかも重婚疑いまで。

   GDPは日本は4位に陥落、タイは25位(212か国虫)だそうですよ。

 

   賢い王族が一人いるだけで、国作りのため人作りのための活動し経済活動は上向き、

   馬鹿な王族が5人もいる国は衰退する、当たり前すぎて泣きたくなります。

 

上記引用

 

 

 
 
以下引用
 

   私が思うには、この問題を表ざたにしない代わりに相当の約束を強いられたと思います。

   チュラボーン王女を正室同等の扱い、若しくは正室(離婚してないが、いずれ離婚で)

   母子に対しての相応の経済的保障など・・・。

   秋篠宮が紀子さんと日本で結婚し、建前は日本では正妻だがタイでは第二夫人扱いである

   ことなど・・・と想像しますよ。

 

 書きながら秋篠宮は重婚だと思うが・・・というのが私の気持ちでした。

 

上記引用

 

 

以下引用

 

彼はなぜか大学時代に反抗期だったようです。私から見ると、僻み根性の妬み癖がある

 のを、コントロールできなかったのでしょうね、兄は何でも持っている、なんて思いを

 自分の遊びたい気持ちに利用したのでは?

 自分の出自をある程度分かっていて、荒れることで関心を引き遊びに口を出させない、

 こんな駆け引きはしそうです。

 

 美智子さんが、「この子は物事を深く考え受け止めるのは昔と変わらない」なんて言って

 たと記憶してますが、反抗の理由をぶつけられてたのでは、と思いますよ。

   

大学在学中の火遊びのつもりが、王女の心にも火をつけ騒ぎになったのでしょうね、

   昭和天皇は皇籍はく奪まで口にしたというのを読みましたが、根拠がはっきりしません。

   また、川島は側女でももってのほか、と言われたとのことです。

   88年学習院大学卒業後、6月には南米に公務で出かけてますが、この頃もタイに行ってい

   たのでしょうね。その後英国です。

   89年昭和天皇が崩御してますが、7月16日から8月18日までタイに滞在してます。

     王女はまだ離婚してませんが、前提で付き合い結婚の約束をしている???

   不倫はあちらでは問題にならないのは、王族だからかしら?

   一夫多妻の国ですが、女性の地位は低いでしょう?

   一妻多夫なんてことは間違ってもあり得ません。

        約束の意味の指輪の交換をしているのかしら。

    

   これに危機感を抱いて川嶋教授が怒鳴り込んだから、

   紀子さんは婚約にこぎつけたのでしょう。

   プミポン国王は切れ者ですね。騒がず、双方の国家の体面を保ちつつ、秘密性も保持し

   秋篠宮にはチュラボーン王女の存在をしっかり認めさせ、お金も経済援助で引き出し

   タイを足蹴にできないようにしたのですよ。名君と言われるだけあります。

  

   1990年7月1日に礼宮の結婚の儀が執り行われます。

   有名なシリトーン王女が家族と一緒に入場してますね。

 

 

上記引用