空なる存在である仏 | 吉祥院 ~茨城県石岡市で約900年続く真言密教の寺(お寺ブログ)~

吉祥院 ~茨城県石岡市で約900年続く真言密教の寺(お寺ブログ)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺のブログです。

キリスト教やイスラム教では

「神が存在する」という前提があるといいます。

神がいなかったらどうなるのか

という質問をキリスト教徒や

イスラム教徒にすることは

意味のないことだそうです。

 

一方でヒンドゥー教や仏教は

唯一の絶対的創造主であるような神を

認めません。

ヒンドゥー教では、ヴィシュヌ神や

ブラフマンは実在する者として

認めますが、

世界との本質的な区別を置きません。

世界が神であり

神は一人一人の人間に宿っているものと

考えています。

 

仏教、特に密教の実践に重要なマンダラは

密教の世界を表すものです。

様々な儀礼でマンダラは用いられますが

元々は何日かかけて作ったマンダラは

儀礼が終わると壊すものでした。

 

それはマンダラが「空なるもの」であり

永遠不変ではないからだとされます。

空なるものという前提があって

マンダラというものがあります。

これはキリストやイスラムの不変なる

実在である神を認めるのとは異なるものです。

 

確かに仏教でも神と呼ばれるような存在は

あります。

阿弥陀如来や大日如来もそうでしょう。

仏さまは修行者にとって帰依の対象、

ヨーガの対象となります。

その意味で人格神ともいえます。

しかし、それが恒常的に実在する者

とはいえません。

 

偉大な菩薩や仏も縁起という道理によって

成り立っている、空なる神です。

広い意味で神といっても厳密には

大きな違いがあるのです。

 

実際に帰依の対象として仏さまは

いらっしゃいます。

それは実在としてあるのではなく

本質的、本来的には

空なるものとして存在しています。

 

全くの「無」ではないけれども

「有」なるものでもないということです。